私的・すてき人

歌うことで、みんなと泉州との架け橋になりたい

File.117

シンガーソングライター

いけだ ゆめみ

池田 夢見さん [東京都在住]

公式サイト: http://emuy.jp/YumemiIkeda/

プロフィール

1986年 貝塚市出身
2001年 大阪府立日根野高校入学 16歳でインディーズデビュー
2008年 上京しライブを中心に全国区で活動をスタート
2011年 1stアルバム「Everybody」を発表 
2013年 2stアルバム「やれるって」をリリース 全国カラオケ配信スタート 
2014年 父、IKECHANとユニット「FAMILY」を結成。一方で東日本大震災の復興ボランティアにも力を注ぐ

「泉州ってヘンなとこ。みんな祭りのために生きてるっていっても過言じゃない。一年に2回お正月があるようなもので、とにかく祭りとなると町中がアツ~くなる。ちょっと特殊ですよね」
 
だがその“ヘンな町”が好きでたまらない。
だからどこまでも地元・泉州にこだわって歌をつくり、その魅力を発信する。
 
「東京に行ったからこそ、泉州ってほんとにエエとこやってわかったんです。こんなダンジリに燃えるアツい町は他にはないし、水ナスはめっちゃ美味しい!私が生まれた泉州って、スゴイ素敵なとこやねんでって、全国の人たちにアピールするのが私の役目やなと。歌を通して、みんなと泉州との架け橋になれたらスゴイ嬉しいんです!」

 

個人の限界を超えたい

夢を見る――という素敵な名を彼女につけたのが、ここ泉州ではカリスマ的人気を誇る“だんじりロッカー”の父「IKECHAN」。
だんじりソング「ケヤキの神」や「祭花」など、知る人ぞ知る彼のヒット曲は今も祭りになると必ず流れるほど。
 
もちろん彼女も「ソーリャ、ソーリャ」の掛け声が聞こえると、いてもたってもいられなくなる“お祭り大好き娘”。まぎれもなく、父のDNAを濃~く受け継いでいるに違いない。
 
「高校の頃は走り込みもやったし、ピアスがちぎれて飛んでったのも気づかないほど、夢中でだんじり曳いてました(笑)」
 
そしてシンガーソングライターだった父のDNAは、もうひとつ音楽という才能を彼女に与える。
 
早くも16歳で、父の曲「祭花/SAIKA」でインディーズデビュー。
「祭花って大人の愛の歌。その頃はまだ子どもやったから、意味なんてわからへん。なんかスカスカやったんです。でも十年以上たって、大人になった今歌うとすごいしっくりくるんですよね」
 
さらに二年後、本格的な活動を目指してデモテープを送るや、オーディションにもすんなり合格。歌手の倉木麻衣の曲を制作した作曲家・北浦正尚氏のプロデュースで、ユニバーサルミュージック内のレーベルからミニアルバムをリリースできることになったのだ。
 
「念願の大手レコードメーカーからのCD発売やったんです。でも何年かやってくうちに、なんか違うんじゃないかって思い出して…」
 
泉州を中心にライブなどを始めたものの、本当に自分がやりたい事とのズレ、組織の息苦しさ……そんな違和感ばかりがドンドン降り積もっていく。やがてメジャーにこだわるよりも、もっと自分らしくありたい、自由でいたい…そう決心した彼女はひとり、東京で勝負することを決めた。
 
「大きな事務所にいるとできない事も、ひとりならなんだって好きなことができる。私にとってそれが一番大切なことやから…」
 
とはいえ今の芸能界、大手事務所の力には絶大なものがある。
果たして“個人”の限界を超え、どこまで翼を広げられるのか――
「ゼロを1にできたらスゴイでしょ?もし私にやれたら、ガンバッテる若いコたちのモデルケースになれると思うんです」
 

音楽で誰かを元気にしたい

彼女のやりたいことのひとつに、音楽で誰かを元気にしたい、社会に貢献したいという思いがある。
 
昨年は、「私の大好きな貝塚の町を一人でも多くの人に知ってもらいたい」と、ミュージックビデオを作るプロジェクトを企画した。
貝塚の町で出会ったオッチャンやおばちゃん、子どもたちの笑顔や人生がいっぱいつまったドキュメンタリームービーを制作し、さらにその時みんなから拾った言葉をつむいで、新曲「やれるって」もリリースした。
 
「みんなが主人公になれる、そんなビデオを作りたかったんです。子どもたちには、ここは素敵な町なんやって誇りを持ってほしかったし、夢をあきらめずに頑張ることの大切さを感じてほしかった」
 
貝塚市や水間鉄道にもバックアップを依頼し、足りない資金はネットで募金を呼びかけ…と、何かをやり遂げる行動力は見事なもの。
 
また、東日本大震災で大きな被害が出た岩手県の陸前高田市にも、毎年義援金を届ける。
 
「不思議な縁で始まったことなんです。市のマスコットキャラクターが『ゆめちゃん』っていうんですよ。それを知って『私大阪の夢ちゃんなんですけど、音楽で何か応援できることありませんか?』って提案したら、『ゆめちゃんおんど』を作ることになったんです。陸前高田の子どもたちと一緒にCDを収録して、ダンスも作って…」
 
そしてこの夏からは父と、その名も「FAMILY」というユニットを組んで、各地でチャリティライブを開き、十八番のお祭りソングを披露している。
「だんじりも時代とともに人が減ってきてるんですよね。若いコがどんどん出て行ってしまう。だからもっともっと若い世代が参加してくれるように、歌で盛り上げていきたいんです」
 
とにかくやりたいことが多すぎて、きりがない。
上京から六年、原点である路上ライブにもけして手を抜かない。今もギター片手に毎週のように駅前に立つという。そしてモットーは「手から手へ」。お客さんには感謝をこめて一枚ずつCDを手渡すのが彼女のこだわりだ。
 
「夢を見る人ではなく、いつかみんなに夢を見せられる……そんなシンガーになりたい。で、大好きな串カツ屋も開けたらもっといいかな(笑)」

<2014/9/9 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔>