初めて知った、人とつながることの大切さ。
それを教えてくれた岸和田の町に恩返しがしたいんです

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ラジオパーソナリティ お笑い芸人
ほんじょう つよし
本庄 強さん [大阪府岸和田市在住]
公式サイト: https://www.facebook.com/owaraiseinendan?ref=stream

1973年 岸和田市出身
1988年 岸和田市立産業高校中退
2001年 吉本興業の新人養成所「NSC」入学
2004年 フリーとして独立
2012年 地元に戻り「ラヂオきしわだ」のパーソナリティをつとめる
人が輝ける場所はそれぞれだ。
「お笑い」という、売れてナンボ、人気がすべてのハードな世界に身を置くこと20年。
このままお笑い芸人として踏んばるのか、それとも次の道を探すのか…
40歳を前にして彼が出した答えは、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の挿入歌ではないが、「地元へ帰ろう」だった。
「ここへ戻ってきて初めて、人とつながることの大切さ、有難さを知ったんです。芸人やってた頃は、自分のことばっかり。足元しか見えてへんかったんですよ。ラジオのパーソナリティをやらせてもらってると、町のいろんな人に出会える。その縁でまた、たくさんの人とつながっていける。それがどんなに大切かってことを、このトシになってようやくわかったんです」
チャリで商店街を走ると、「本庄のオッサン!いつも聞いてるで!」と声がかかる。それが今、何よりもうれしいのだ。
NSCに入学
よくお小遣いを貯めては、当時ブームだった「心斎橋筋2丁目劇場」を見に出かけるような、お笑い好きな少年だった。
だが一方で、「みんな一列に並んで前に歩こうっていう時に、俺だけ逆に進んでしまうような“ヘンコ”な性格。自分を抑えてまで人に合わすなんて、とてもできへん。だから今までケンカもようしてきました(笑)」
こんな不器用な性格から、高校も入って数ヶ月で中退。
「どうせなら、好きなお笑いがやりたい」と、アルバイトで資金を貯め、吉本興業の養成所「NSC」へ入学したのだ。
当時「NSC」といえば、弟子制度でしばられていた業界の常識を大きく変えることで、ダウンタウンや千原兄弟、ナインティナインなど、次代を読むセンスを持った人気コンビを次々輩出していた。
「見るもの聞くもの初めてのことばっかりで、毎日がムッチャムチャ楽しかった」
とはいえ、彼の入った「NSC11期」といえば、陣内智則、ケンドーコバヤシ、中川家…と、今も第一線で活躍するスターがゾロゾロ。
大豊作の11期といわれたが、裏を返せばそんな“ダイヤの原石”たちと競わなくてはならないのだから、チャンスをつかむのも容易ではない。
「当時はNSCを卒業すると、すぐ外に出されるんです。ライオンが子どもを谷に突き落とす、みたいな。売れたかったら自分ではい上がって来い!っていうね」
今でこそピン芸人が増えたが、当時はコンビで舞台に立つというのが、オーソドックスな形。
だが「俺はヘンコやから、コンビ組むのは向いてないと思ったんです。だからひとりで『2丁目劇場』に立ってました。1年半頑張ったけど、まあウケへん(笑)」
その後はフリーになることを決め、企画、マネージャー、営業…と何もかもをひとりでこなしながら、地道に活動を続けてきた。
「ここまで頑張れたんは、もう意地だけやったと思う。まだイケる!って自分で思い込もうとしてたんやね…」
もっとラジオならではの魅力を浸透させたい
そんな彼にも芸歴20年という節目がやって来る。
「40歳過ぎてこのまま続けてても、どうなんやろ…」
そう思いだした頃、ちょうど2年前にスタートを切ったばかりの「ラヂオきしわだ」が、パーソナリティを探していた。
「地元・岸和田でもう一回出直してみるのもええんやないか…」
追いかけ続けた夢をあきらめ、彼は人生の第二ラウンドを歩き出したのだ。
日曜午後9時から放送の「本庄強のお笑い青年団」では、スタジオを飛び出し、様々な街ネタや情報を、得意のお笑いトークをまじえて紹介。芸人ならではのカンや経験を生かした、スピード感あふれるトークがリスナーにも人気だ。
「もっともっと民の力で、ラジオを浸透させたいと思ってるんですよ。たとえば防災の時にキメこまかな情報を流せるのは、ラジオしかない。ここで炊き出しやってるよとか、一人ひとりに電波を通じて声をかけることだって出来る。地元に密着してるからことできる、そんなラジオの力を知ってほしい」と、思いはアツい。
地元に戻ってたった2年。だがその間に出会った人たちとの絆は、かけがえのない宝物になった。
「だからこれからは、この町に恩返ししたいと思てるんです。今ほんとに人生が楽しい、なんか清々しいんですよ」
芸人の光も影も知っている彼だからこそ、伝えられる力がある、思いがある。
ここ泉州で、ヘンコでアツい彼ならではの、オモロイしゃべくりをもっともっと聞かせてほしい。
2013/9/19 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔