患者さんの心に寄り添う…それが私の使命
「ここでいいや」と線を引いたところで、道は終わる。
さらに険しい山を目指すも、あきらめてそこに永住するも、それはすべて自分が決めることだからだ。
「満足するってことが無いんです。あの時もっとできることがあったんじゃないか、患者さんに違うサポートの仕方もあったんじゃないか…いつもいつも反省ばかり。行けども行けども、終わりのない仕事だなあと」
だから彼女はけして人生にラインを引かない。
もっと上へ、もっと遠くへ…
その終わりなき坂道を登っていくために、常に学び、自らに問い続ける。医療とはなんなのか、看護とは何なのか…
「病名は同じでも抱える問題は、一人ひとり全部違う。患者さんの話を聞いて、心に寄り添う――それが私の使命だと思っています」
思いもしなかった体の異変
とにかく全力で走ってきた。
内科、小児科、外科、精神神経科、痴呆病棟……ありとあらゆる病棟の看護士として経験を積み、激務をこなしながら、家に帰れば4人の子どもの母親としても奮闘するスーパーウーマン。
「仕事が好きで好きでしょうがなかったんですね。初めての子どもが生まれて、預けるところがなくてどうしよう…と思ってた時、偶然ベルランド病院が目に入ったの。それがなんと病院の敷地内に社宅も保育園もある!もうここしかない!ってすぐ決めちゃいました。結局その社宅に20年いたかな」
彼女にとって看護士は天職、どんなに忙しくても毎日がやりがいに満ちていた。
そして12年前、ベルランド関連の療養型病院の立て直しを、総婦長として指揮してくれないかと理事長に相談される。
「当時その病院は、何もかもがぬるい状態で…初歩的なことから指導しなくちゃならないほど、意識が低かったんです。ようし、私が改革しなきゃ、メスを入れて全部ウミを出さなくちゃって肩を張ってたんですね」
大任を背負ってたったひとり乗り込んだものの、院内の改革はそう簡単には進まない。
「何があっても絶対負けるもんか!って(笑)。どんなに突風が吹こうがヤリが降ろうが、2年でやり遂げてみせるって、そりゃもうがむしゃらに頑張ってました。」
奮闘の甲斐あって、たった1年半で入院患者のじょく瘡(床ずれ)ゼロを達成するほど看護士たちの士気を高め、委員会も立ち上げ…とその結果がようやく目に見えだした頃、今まで感じたことのないような背中の痛みに襲われるようになる。そして頭痛にめまい…
「あの頃自分は鉄人やと思ってたんです。自分の体が壊れるなんてあり得ないって…でも結局ストレスによる胃と十二指腸潰瘍と診断されて。いろんな自律神経失調症も出始めて、休養せざるを得なくなってしまったんです」
無念だった。だが、その挫折が思いもかけず、彼女に新しい道を開くことになる。
「ベルヒーリングカフェ」の開設
7か月の休職後、今度はホームであるベルランド病院の「患者様相談室」を任されることになった。
今までとはまったく違う、現場から一歩離れて、冷静に見つめられる場での再スタート。それが彼女にとって大きな“気付き”へのきっかけになる。
「がんの三大治療といわれる手術、化学・放射線治療を『できるだけ受けずにやりたい』といわれる方、医師に見放されて途方に暮れて訪れる方、様々な苦情…その一つひとつに対応するうち、医療のあるべき姿って、ほんとにこれでいいのかなって思い始めたんです」
疑問を抱えたまま相談を受けることに無責任さを感じた彼女は、ここから次々と学びをスタートさせる。
まず取得したのが産業カウンセラーの資格。「勉強して初めて、相手の話をじっくり聞くことの大切さを教えられました。医者や看護士は話すことは得意なのに、聞くというコミュニケーションスキルを教えられていない。相手の思いをまず聞くことから、信頼関係が生まれるんだということを痛感しましたね」
「そして自分の価値観をすぐ人にも求めてしまう、早とちりでとがっていたそれまでの自分を変えてくれたんです」
さらには西洋医学だけがすべてではない、自然治癒力を取り戻すための代替医学があることも学び、選択肢のひとつとして患者さんに提案することもある。
今では年間3000件もの苦情や相談に乗り、彼らの痛みや怒り、悲しみにそっと寄り添う。「これからは学んだスキルを、どんどん後輩に伝えるのが役目だと思ってます。私の分身をたくさん作らなくっちゃね」
さらに3年前には、がん拠点病院になったことを受けて、がん患者やその家族が語り合える場をと、「ベル ヒーリングカフェ」の開設に奔走。かつて同病院に入院し、乳がんを乗り越えた体験を持つ書家の落合希淑さんを講師に迎えて、毎月手作りの講座を開いている。
「どんな治療したん?とか、患者さん同士やから話せることってたくさんあると思うの。あそこに行ってホッとした、救われたっていってくれるとほんとにうれしい。そしてこれからは職員も一緒に楽しめる場にしていきたいんです。ほんとは職員も疲れてるんですよね。まず職員が元気でないと、患者さんを元気になんてできないです」
座右の銘は「天下の人のために蔭涼(おんりょう)とならん」――人々のために日差しをさえぎり、涼風を運ぶ木陰となろう…という禅語だ。
自らの暑さや労をいとわず、そっと誰かに蔭をつくる――傷みを抱える多くの患者にとって、彼女は間違いなくそんな存在に違いない。
2012/11/28 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔