好きなことを一生懸命やる、そうすれば必ず道は開ける
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プロレスラー・理学療法士
ツバサ
TSUBASAさん [大阪府和泉市在住]
公式サイト: http://www.eonet.ne.jp/~tsubasa-official/
1973年 岐阜県出身
1992年 中京商業高校卒業後、プロレスラーを目指して上京
1994年 メキシコに渡り、神父でレスラーのフライ・トルメンタ経営する孤児院でプロレスの基礎を学ぶ 12月イダルゴ州パチューカにてデビュー メジャー団体EMLLを中心に5年間活動
1999年 帰国し「大阪プロレス」に
2010年 理学療法士の国家試験に合格 現在パンジョクリニック勤務
ボケてなんぼ、ツッコんでなんぼ。お笑いの聖地、ここ大阪ではプロレスといえども“闘いと笑”の絶妙なバランスなくしてはお客を呼べない。
えべっさん、くいしんぼう仮面・・・とおもろいキャラクターがズラリ集う、ファイターのおもちゃ箱「大阪プロレス」にあって、ひときわスピードとキレのある空中技で魅せながら、たまにポツリもらすシャレたトークで人気を誇るのが、このTSUBASAだ。
高校時代、世界をまたに活躍するレスラー、ウルティモ・ドラゴンに憧れ、内定していた就職さえチャラにして、夢だけを手にメキシコに飛び出したのが16年前。
貧しくても先が見えない時でも「ツライなんて思ったこと、ほんとにないんですよね。ただ好きなことを一生懸命やってきただけ。真剣に好きなことをやってれば、おのずと道は開ける・・・思い続ければ夢は叶うんだってことを若いコたちに伝えたいんです」
開いたメキシコへの扉
同郷のウルティモ・ドラゴンを一目見て「なんてカッコイイんだろ!」と釘づけになったのが、そもそもの始まり。
ウルティモ・ドラゴンといえば、「新日本プロレス」の入団テストで身長が足りずに不合格になりながらも、単身メキシコに渡り多くのタイトルを獲得した不屈のレスラー。
「自分と同じくらい小さな体で、華麗な技を次々決める彼を見てすごいなあと。卒業が近づいていったん就職が決まったんですが、自分が今やりたいことはやっぱりプロレス!と、内定断って東京に行きました」
もちろん、なんの勝算もなければコネもない。
取りあえず住みこみで新聞配達をしながらジムに通い出したが、「何もわからないし、いったいどうすればプロレスラーになれるん?っていう(笑) でも、とにかくドラゴンと同じようにメキシコに行こうって決めてたんです。メキシコに行けばなんとかなるん違うかなって」
ところが、その新聞屋の所長さんがたまたまメキシコ大使の通訳と知り合いだったことで、意外や事態は急展開! 神父で孤児院を経営する名物レスラー、フライ・トルメンタを紹介され、トントン拍子にメキシコへのドアが開いたのだ。
「意志を持って一生懸命やっていれば自然と道は開けていくと思う。僕の場合はたくさんの出会いが夢への道を開いてくれた。だからあきらめないことが大事なんです」
取りあえず先へ進んでみないとわからない――なんのためらいも無く前へ前へと進んでいける度胸と行動力は彼ならでは。
トルメンタの孤児院に住みこんで、孤児たちと一緒に、もらってきた硬いパンをかじりながらトレーニングに明け暮れる日々がスタート。
そして1年後、ついにイダルゴ州のパチューカでデビュー。空中殺法が得意なのとメキシコでも放映されていた人気アニメ「キャプテン翼」が好きだったことから、リングネームはTSUBASA。大きく広げた翼をデザインした覆面がトレードマークになった。
理学療法士とレスラー“二足のワラジ”
5年間、メキシコで活動した後「今度は日本のリングでやりたい」との思いが強くなり帰国。「大阪プロレス」の立ち上げを機に、同団体に参戦することになる。
魅力は、身長168センチ76キロという、レスラーとしては小柄な体から生まれるスピード感溢れる必殺技の数々。ラ・ケブラーダ、ウラカン・ラナ、ドラゴンスリーパー・・・と魅せるキメ技にシビレるファンも多い。
だが人気が高まる一方で、体は次第にケガや故障に悩まされ始める。格闘技にはつきものとはいえ、右ひざの前十字じん帯断裂という重症を負い手術。さらにそのケガからの復帰戦でまたもやじん帯を断裂し、長期欠場を余儀なくされた。
「あの時はさすがに、次ケガしたら後は無いなあって。そんな時通ってたクリニックで出会ったのが理学療法だったんです。プロレスはいつまでも出来るもんじゃない。だったら一回この理学療法士いうのに挑戦してみよかなと思って。勉強嫌いな僕が、必死で漢字の書き取りやりました(笑)」
そのかいあって専門学校に合格「あ、これは縁があるなと。それなら4年間頑張ってみよと決心したんですね」
それからというもの平日は学校へ通い、日曜はプロレスラーとしてリングに上がるという、ハードな日々がスタート。
「人生でこんなに勉強したことない」という努力が実を結んで、今年見事国家試験にも合格。レスラーと理学療法士、二足のワラジをはいての生活が始まった。
「自分がケガの苦しみを知ってるから、患者さんの気持ちや痛みもわかると思う。そこが一番の強みかな。トップアスリートにはそれなりのトレーナーがついてる。でもそうじゃない中堅のプレーヤーや小、中高生なんかはケガから復帰するためにどんなリハビリをすればいのか、トレーニングをすればベストなのかわからないと思うんです。今はまだまだ勉強の毎日だけど、いつかそんな人たちの力になれたらと思っています」
2010/07/21 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔