空からの堺の素晴らしさを伝えていきたい

“ターニングポイント”はある日突然、何気ないカタチでやってくる。
「これだ!」と心が震えた瞬間、飛び込んでいけるか、ジャンプできるかどうか・・・
それこそが未来をつかむ分かれ道になる。
ふと目にした女性パイロットの記事。「なんてカッコイイんやろ・・・」そう思った時、彼女の人生も大きく方向を変えた。
一気に振り切った心の針は、迷わず“空への道”を指して走り始める。
「私ならデキル!って自分を信じてやってみる・・・思ったらまずチャレンジしてみる!家族からはいつも一瞬で飛んでゆく“ロケット”やといわれてます(笑)」
アツイ思いと努力で手に入れた大きな翼・・・今彼女は、全国でも数えるほどしかいない女性パイロットとして空を翔る。
空を飛ぶってこんなに楽しいんや
すべてはあの記事から始まった。
民間人、それも女性が容易に空を飛べる時代ではなかった1980年代。アメリカに渡って操縦士免許を取り苦労を重ねながら、民間パイロット養成学校を設立した女性のサクセスストーリー。
「とにかくカッコよかった。いてもたってもいられなくて、すぐその人に会いに東京まで押しかけてしまったんです、アポもとらんと。そこで会った彼女はキラキラ輝いていて、勢いがあってすっごく大きく見えて・・・もう、その場でパイロットになるって決心してました」
当時彼女は電気工事士の資格を取り、実家の電気店を手伝っていた。
「工事の仕事もそれなりに面白かったんです。でもなんか満ち足りないというか・・・これでいいのかなと。そんな時出会ったのがヘリコプターだったんです」
「反対されるやろ」と父親には内緒で作戦を決行。母の協力もあってコッソリ準備を進め、報告したのはなんとオーストラリアに立つ朝だった。「今から行って来るわって。いなくなってから家は大騒ぎやったらしいです(笑)。だから今でも母の理解には感謝してます」
初フライトで酔ってフラフラになったりと、さまざまなハプニングはあったものの「空を飛ぶってこんなに楽しんやって・・・飛行機とはまた違う“低い空”を飛ぶ、地上との一体感がスゴイんです。空にいると“幽体離脱”したみたいになるんですよ、なんか別の場所から自分を見てるっていうか・・・」
3ヶ月の訓練で無事、自家用ライセンスを取得して帰国。さらに東京で1年間のハードな訓練を経て、ついにヘリの事業用操縦士免許を獲得した。
ヘリに乗る人たちの笑顔が見たい
だが、まだまだ女性パイロットはほんのひと握りという業界。けして順風満帆にここまで来れたわけではない。
「地上勤務ならOKなのに、操縦士となるとなかなか就職がない。でもやっとつかんだ夢を諦めたくないじゃないですか?だからゴルフのキャディーとかいろんなバイトをしながら就職活動してました」
そして数年後、「空を飛びたい」というアツイ思いはついに届き、名古屋で秘書パイロットとして採用が決まる。さらに翌年「ヘリに乗る地元の人たちの笑顔が見たい」と大阪に戻り「第一航空株式会社」に入社。
「飛んでるとたまに、近くを飛ぶ友だちと管制官とのやりとりが聞こえたりします。直接しゃべる事はできなくても、離れてる友だちと空で会える。なんともいえない嬉しい気持ちになるんです」
一方、「ヘリを使って、空から堺の街の魅力を伝えたい」と、一昨年NPO法人「堺にわだに村」も設立。百舌鳥古墳群やNTC(サッカーナショナルトレーニングセンター)、南部丘陵などをハーベストの丘から視察、PL花火のナイトクルージングなどたくさんの企画で地元の素晴らしさをアピールしてきた。今年からは地上でのイベントも、グレードアップしていきたいと夢は広がる。
「感動って“起爆剤”だと思うんです。ヘリコプターから街を見たという感動を子どもたちの心に残せたら、そこからまた新しい何かが生まれる・・・素敵なものがいっぱいある堺という町に誇りを持ってほしいし、語りついでいってもらいたい。そして世界に向けてその素晴らしさを発信していきたいんです」
2009/12/22 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔