肩書きじゃない、情熱こそが人の心を動かす
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ピアニスト
なかがわ ちほ
中川 知保さん [大阪府堺市在住]
公式サイト: http://www013.upp.so-net.ne.jp/picnic/
和歌山県出身
東京芸大ピアノ科を経て ウィーン国立音大留学
「クラシックをもっと身近に」と、トークを交えた新しいカタチのコンサートを続けている
ひとことでいえば“走り続ける”エネルギッシュな人。
芸術なんて才能のあるもん勝ち、結局DNAがすべてやん・・・挫折の中で、そう自分をなぐさめて生きてきたのは私だけじゃないはず。けれど「それは違う」とサラリ。
「こうなりたいって努力してるうちに、それが才能という宝石に変わっていく。それは生徒たちに教えられたこと。だから絶対あきらめちゃダメ。あきらめたらそこで終わり・・・」
う~ん、アレもコレもすぐあきらめてきた私には、ちょっと耳がイタイ・・・。
“疾走”
紀ノ川の田んぼを走り回り、“ドッチボールの女王”だった女のコが、ピアノの魅力に目覚めたのは中学2年生の時。やがて片道6時間かけて、ひとり東京にレッスンに通うように。
だが、行ってみるとそこは「この世のものとは思えない別世界!」。
東京に集まるピアニストの卵たちは、信じられないようなテクニックで難しい曲を弾きこなす。「私が中3でやっと弾いてる曲を、みんなは小3で弾いてる。もうビックリ・・・」。
そこからいよいよ彼女の“疾走”が始まる。
遅れを取り戻すために、学校以外はとにかく夜中までピアノの前に。4~5時間の睡眠で、大学受験までの4年間はひたすら練習、練習・・・。「もう一度やれといわれても絶対ムリ。あんな苦しいことよくやったなと」。
文字どおり「あきらめない」思いはコンプレックスやプレッシャーをはねのけ、ついに難関「東京芸大」に合格。そこからもまた卒業までの4年、がむしゃらに走ることに。
音は心が紡ぐもの
無我夢中で走り続ける暮らしに、ひとつの転機がやってくる。奨学金を受け、 オーストリアの「ウィーン国立音大」に留学が決まったのだ。
すべてから開放されて、ポンと放り出された異空間。「ここでの2年半があったから、今の私があるんです。技術だけで人の心は動かせないことを知ったのもこの時・・・」。
ゆったりした時の流れの中で、初めて立ち止まった瞬間・・・。
人にとってほんとに大事なことはなんだろう・・・そう思い続けた時間の中で、偶然同じ留学生として建築を学んでいたダンナさまに出会う。
自己表現のためにいろんなものを脱ぎ捨てていくアーティストがいる。
だが、彼女のように結婚をして子どもを生み、喜びや悲しみをぜんぶ音に変えていく道を選ぶピアニストもいる。
その分、また“爆走”の日々。主婦に子育てに、ピアニスト、そして講師・・・と息つく間もない毎日。その背中を見て育った娘さんは、自らピアニストを目指し母と同じ道を選んでこの春東京芸大付属高校に入学した。
「失恋ってこんなに胸が痛いんだとか、子どもってこんなに可愛いんだとか、経験しないと絶対わからない。この道を選んだ私だからこそ出せる音があるはず。もう一度聴きたいな、といってもらえるような演奏をしていきたい。そしておばあちゃんになっても、ずっとトークコンサートをやっていけたらいいな」
2007/09/04 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔