事故は教えてくれた、BMXがどんなに好きだったかを
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BMXライダー
あさひな あやか
朝比奈綾香さん [大阪府堺市在住]
公式サイト: http://ameblo.jp/ayaboobmx/
1996年 堺市出身
2006年 10歳でBMXを始める
2012年 伊豆BMX国際大会1位
2014年 阪南大学入学ジュニア・エリートランキング1位、全日本BMX選手権3位
2015年 交通事故で両脚骨折 現在も復帰に向けてリハビリ中
事故 ― それは一瞬にして、人の運命を変えてしまう。
失ったものを数えて翻弄されるのか、それでも前に進むのか・・・
日本のトップアスリートとして、五輪出場を期待されていた矢先、その事故は起こった。全日本選手権のために訪れた茨城。練習を終えて自転車での帰り道、大きくコースを外れた一台の乗用車が、彼女に突っ込んできたのだ。
命さえ危ぶまれるほどの両脚骨折・・・努力と夢のすべてをもぎ取られた。
「もう自転車に乗られへん!足もどらへん…ショックと絶望で真っ暗、心も体も極限状態やったんです」
だが半年たった今「あの事故にあって良かった」そう笑う彼女がいる。
「あの頃海外で成績が出なくて、ほんとはBMXが好きじゃなくなってたのかもって。事故のおかげで、またこんなに乗りたいと思えるようになった。ここからまたリセットできる、一からやり直せる。前よりもっともっと、速く走れる気がするんです」
どんな運命も自分の力に変えていく・・・彼女が見つめるのはもう、4年後の東京オリンピックだ。
4日間に及ぶ大手術
初めてBMXに出会ったのは、父に連れられて遊びに行った大泉緑地の「どろんこ広場」。「自転車が飛んでる!なんて面白そうなんやろうって。やりたい!ってなって、すぐに自転車を買ってもらったんです」
BMXとはバイスクルモトクロスのこと。20インチという小さなタイヤで、ブレーキも後輪のみというシンプルさ。宙を舞うダイナミックさと、スピーディーさが人気の競技だ。
10歳で始めるや、すぐに才能が開花。翌年にはもう全国のレースを回り、15歳からは海外にも遠征、多くの経験を積んだ。
「高校の時、世界BMX選手権でライバルに勝って、ベスト16に入ったんです。その時すっごく楽しくて。ここからは本気で狙っていこうと心に決めた」
さらに2014年にはJBMXFジュニア・エリートランキング1位に。いよいよ「リオデジャネイロ五輪」に照準を合わせていたその時、運命の事故は起こってしまったのだ。
「はねられた時もずっと意識があって、一瞬自分の足を見てしまったんです。そしたら有り得ない方向に曲がっていて。駆け寄ってきた仲間に『見るな!』って目をふさがれました」
救急車の中では「痛い、痛い!ってずっと怒ってたんです」
ここに来るまでの努力のすべて、未来への夢…それが一瞬で失われたことへの痛みと怒り。
だが皮肉にも、この怒りこそが彼女を救ったともいえる。
「出血がひどかったので、血圧がどんどん下がっていく。でも怒ってたので、なんとか病院に着くまで意識が無くならずにすんだんです(笑)」
右足の脛が2本折れ、左も膝の骨が飛び出す開放骨折、さらに大腿骨骨折、顔面挫傷…搬送先の病院では手に負えないほどの大ケガだったため、大阪の病院に転送され緊急手術。それは4日間にもおよんだ。
「もうレースには出られへん、歩けないかもしれない・・・」
ショックと不安で真っ暗なトンネルの中にいた彼女を救ったのは、医師の一言。
「大丈夫、歩けるよ。また自転車にも乗れるようになる」
それを聞いた瞬間、「ああ、自転車に乗れるんやって、希望がパアッって射しこんだ。ここで落ち込んでる場合やない、やれる事は全部やろうって」
将来は警察官に
そこからは医師やリハビリのチームも驚くほどの回復を見せる。
8月にリハビリを開始し、右脚はなんと1ヶ月で動かせるまでになった。
「大学、高校、小学校の友だちまでがお見舞いに来てくれて。たくさんの人に励まされて、支えてもらってるんやと改めて気がついたんです」
もちろんまだ松葉杖無しには歩けないし、この先何が起こるかわからない。それでも年内には復帰し、もう一度オリンピックという夢に賭けると心に決めた。
「事故はツラかったけど、私に教えてくれたんです。BMXがどんなに好きか、どんなに走りたかったのかを」
そして彼女には、もうひとつ夢がある。
「いつか警察官になりたい!カッコイイんやもん(笑)」
ライダーとして活躍しながら大学に進み、“文武両道”を行くのには、訳がある。
「高校の時、塾の先生に言われたんです。オリンピックに出るのは、もちろんスゴイ。けどその先どうするんやと。BMXで食べていける保証もない、将来のためにも大学は行った方がいいって」
海外遠征に役立つからと、大学では国際コミュニケーション学部を選択し、英語、中国語を学ぶ。「この先警察官になっても、語学が必要になると思うんです」と、19歳にして夢と現実の両方を見極める、この冷静さと視界の広さ。
「ただ、一生自転車にはかかわっていたい。世界レベルのコースも、選手育成の制度も海外に比べてまだ完全に整っていない。もっとメジャーなスポーツにするために、宣伝していかなアカンし、環境を作っていかなくちゃと思ってます」
4年後 ― 不死鳥のようによみがえった彼女に、最高の舞台がきっと待っているはずだ。
2016/1/20 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔