鉄道は沿線文化の担い手 泉州の魅力をたくさんの人に発信したい
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水間鉄道株式会社 社長
関西 佳子さん [大阪府貝塚市在住]
公式サイト: http://www.suitetsu.com/
1963年 堺市出身
1983年 帝塚山学院短期大学卒業後、野村證券へ
2005年 水間鉄道にSE(システムエンジニア)として入社 3年後には鉄道業界初の女性社長に就任
新風が吹きぬける――彼女にはその言葉がピッタリだ。
新しい風は人を変え、お決まりの価値観を覆し、私たちにまさかの方程式もアリなんだとサプライズをくれる。
かつて多額の負債を抱えムシの息だった「水間鉄道」。そこへまさに“新しい風”、復活への原動力として登場したのが関西さんだった。
ネーミングも含めて企業に一駅まるごと買ってもらおうという“目からウロコ“の構想、クリスマスのプレゼント列車、車内での音楽会……その奇抜な発想と行動力で、水間はたしかに“再生”への道を歩み出した。
「だってお金がなくて…」そう笑う鉄道業界のマドンナは、アイデアを武器に新しい世界を切り開いていく。
苦労の末つかんだ再生への道
貝塚駅から水間寺まで10駅5.5キロ、両端駅以外はすべて無人駅というローカル線。
ナインティナインらの主演でヒットした映画「岸和田少年愚連隊」に登場した電車といえば、思い出す人も多いかも。
その改革に取り組む彼女は、祖父、父と続く鉄道一家に生まれ、ダイヤグラムを普通に読みながら育ってきたというまさにカエルの子だ。
だがその実、証券レディ、主婦、そしてシステムエンジニア……と何故か家業とはまったく関係の無い道を歩いてきた。
その彼女が突然「安くて手っ取り早い人材」として、当時社長だった父に呼ばれたことから、水間もそして自身の人生も大きく変わることになる。
「2年ぐらいなら…」と軽く引き受けSEとして入社。だが、水間はちょうどバブル期の不動産投資の失敗で多額の負債を抱え、支援先を必死で探していた頃だった。
「会社更生法」の適用を受けゼロからスタートするには、旧経営陣の引退、そして資金力を持ったスポンサーが着くことが絶対条件。
「水間鉄道を消したくない」という必死の想いは、やがて外食チェーン「グルメ杵屋」の故椋本会長の心を動かす。杵屋という大きな味方を得た同社は、2006年新たな再生への道を踏み出すことに。そこで確かな原動力となったのが、異色の経歴を持ち、業界人とは違うマルチな発想ができる彼女の存在だった。
お金が無い ならアイデアで勝負!
器を認められ、思いがけず業界初という女社長の座についた彼女は、まず「スルッとKANSAI」への加盟に取りかかる。だがこれまたハードルは高く、加盟二社の承認を取りつけない限り理事会で取り上げてももらえない。「無謀な挑戦だったと思います。でもこれをクリアしないと次が無いと、もう必死でした」。承認をもらうために「初めはもう押しかけ同然!」でアタックをかけ、熱意とヤル気を見せ続ける毎日。そして一年がかりでとりつけた二社目の承認は、なんと理事会の数日前。「ドキドキでした。やっとこれで未来への一歩が踏み出せたって」
バリアフリーへの対応、自動列車停止装置の設置など安全対策もこなしながら、車内や駅でのイベント開催、大晦日の終夜運行と年越しソバの提供、車両につけるヘッドマークに四季折々のデザインを……と既存の鉄道マンにはなかった発想で次々“新生・水間”を築いていく。
「バスのシステムを活用した、車載用のピタパ導入」もまもなく実現予定。車内でピタパが使えるなんて全国初!
「ってゆうのも無人駅だから。バスのシステムを使うのもお金が節約できるからなんです(笑)」
お金が無ければ、アイデアと行動力で勝負! ゼロからだからこそ何にでもチャレンジできる――「可能性があるって、なんかとても楽しいんです」
和歌山貴志川線が、猫駅長“たま”でブレイクしたように、ローカル線の生き残り競争は斬新さとユニークな発想がカギ。次は葛城山にちなんで自身でデザインした「葛城タヌキ」のキャラクターを登場させたい、ハイキングも企画したい、駅を丸ごと企業に貸したい…と湧き出る構想は尽きない。
「父はいつも、鉄道は沿線文化の担い手であるといってました。多くの人に水間寺や泉州の自然や魅力をもっともっと知ってほしい、全国へ発信していきたい。それが私の思いなんです」 たかが5.5キロ、されど5.5キロ。彼女の挑戦は始まったばかりだ。
2008/11/27 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔