SAYAKA再生 私たちの手で
「あんなええホール、絶対つぶしたらアカン。私らの手で守らんと!」
1200人を収容できる大ホールに小ホール、コンベンションホール、さらに大会議室・・・。
立派だけれど、なにせキャパが大きすぎて人が埋まらない。
何億円もの赤字を抱え、いわば市の“足手まとい”になっていた「SAYAKAホール」を救おうと、
立ち上がったのがこの人。
狭山のジャンヌダルク、彼女がエイ!と踏み出した一歩は今「SAYAKA」を大きく変えようとしている。
SAYAKAから始まった第二のスタート
12年前の「SAYAKAホール」誕生は、まさに彼女自身の“第二楽章”のスタート。
中学校の音楽教師を辞めて“お母さん”をやってた当時、たまたま舞いこんだ「狭山市歌を歌ってくれへんか?」という市からの誘い。それがきっかけで「SAYAKA」の完成セレモニーで歌う、「市民の第九」の指導にあたることになる。
そして「第九」のメンバーはそのまま「大阪狭山混声合唱団」として活動することに。
あれよあれよという間に、生まれて初めて合唱団の指揮まで任され「すごい大変やったけど、これがオモシロイねん!合唱より楽しいかも(笑)」。
お笑いと一緒、指揮はみんなをこっちに集中させる“ツカミ”が大事!
水を得た魚はグイグイみんなを引っぱって、コンサートの作曲や台本まで手がけるように。だが一方で気にかかっていたのは、人影まばらな「SAYAKA」の行く末。「このホール、どうなるんやろ?」
役所にはまかせてられへん
経費だけで年間2億数千万かかる“怪物”を、維持していくだけのノウハウも戦略もないまま空きだけが目立つホール。
狭山の文化の拠点になるはずが、いつしか「結婚式場にでもしたら?」という冗談がでるほど経営は悪化していた。
「早くなんとかせな!もう役所にはまかせてられへん・・・」
こうと決めた時の行動力と、アイデアが彼女のウリ。さっそく市長に直談判、さらに民間応援団として「音楽愛好家協会 こんごう」を立ち上げる。愛好家というネーミングは、音楽家だけじゃなく一般の人にも入ってもらいたい、との思いから。
会員募集に、チラシ作り・・・と走り回るなか、なんと自費でホールを押さえアーティストを招へい。さらに赤ちゃんやママのための0歳児コンサート、ワンコイン500円での演奏会・・・と次々新しい企画を繰り出し、その情熱に応えるようにホールも“企業努力”を始めた。新しい風が吹きはじめたのだ。
手探りでスタートした「こんごう」も、2年経って会員は300人に。
「アイデアだけはどんどん湧いてくるねん。もっともっとSAYAKAを楽しい場所にしたい。それともうひとつ、クラシックは実力があってもなかなか陽があたらないアーティストが多い。そんな若いコたちをどんどんメジャーにしていきたい。それが夢!」
2007/04/27 取材・文/花井奈穂子 撮影/小田原大輔