クラシックをとびきりのエンターテイメントにしたい
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クラリネット奏者 株式会社「音屋組」代表
いなもと わたる
稲本 渡さん [大阪府堺市在住]
公式サイト: http://otoya-ent.com/
1980年 大阪府堺市出身
1998年 淀川工業高校卒業
2002年 オーストリア国立グラーツ音楽大学を最優秀で卒業
2008年 佐渡裕氏率いる兵庫芸術文化センター管弦楽団に
2013年 石川直らソリストと共に音屋ウインドオーケストラを結成
2015年 株式会社「音屋組」を立ち上げ、堺の文化と音楽を融合させたプロジェクト「堺輪音」の活動もスタート 映画や演劇など多方面で活躍
時に“異端児”ともいわれる。
演奏家としてだけでなく、経営者としてまたプロデューサーとして企画に走り回るその姿勢は、今までの芸術家には無かったもの。
「音楽家もただ演奏していればいい、もうそんな時代では無いと思うんです。音楽もビジネスとして考えなくちゃ」
武器は芸術家らしからぬ視野の広さと、驚くほどのバランス感覚の良さだ。
思いをカタチにするべく立ち上げた会社「音屋組」。そこには彼の次代への挑戦がつまっている。「堺の伝統産業や、お寺のような観光名所ともコラボしながら、一味違ったクラシックを発信したい。そして若手に演奏の場をもっともっと作りたい。すそ野が広がれば、クラシックも身近なものになるはず」
世界の舞台を経験してきた彼が、あえて地元・堺にこだわる――そこには父で音楽家だった亡き耕一氏との約束がある。
「クラシックが広く受け入れられるには、まだ時間がかかる。だから父はまず堺にその魅力を広めようとした。父が残した『夢は渡に引き継ぐから、渡も次の世代に引き継げ』という言葉。これこそが僕の使命だと思っているんです」
プロにはならない宣言していた学生時代
父、耕一氏は関西を中心に活躍していたクラリネット奏者。楽曲に民謡を取り入れたり、演奏中に当時は珍しいトークでお客をわかせたりと、クラシックを身近なものにしたいと奮闘するアイデアマンでもあった。
その次男として育った彼は、いつもそばにクラリネットがあるのが普通の毎日。
「男の人はみんな、クラリネット吹くもんだと思ってたんですよ。それぐらい僕にとっては当たり前。遊びの延長で5才で初めて吹いたんですが、その1週間後にはもう父とコンサートに出演してました」
演奏することは楽しかったものの、「プロになる気は全然なかった」んだそう。
進学の時も家族は当然、音楽専門の高校に進むことをすすめたが、断固「行かない」と主張。
「ストイックに練習を続ける父を見て、音楽家は大変やとわかってた。だから世界に通用するような音楽家になれないんやったら、そっちの道へは行かへんって思ってて」
「そんな時父が、淀川工業高校の事を教えてくれたんです。演奏会を見に行ったら、ああウマいなあと。それにみんなで音出すって楽しそうやなあって思って、ここの吹奏楽部に入りました」
淀工吹奏楽部といえば、大会では常に日本の頂点に立つ名門校。朝から晩までハンパなく厳しい練習が続くうえに、レギュラーの座をめぐって200人の部員がしのぎを削る。それでも彼は1年ですぐレギュラーに選ばれ、ついにはコンサートマスターとしてクラブを率い、全国選抜大会史上初の春・夏グランプリ受賞を成し遂げたのだ。
ここまできたら、いよいよ音楽の道を目指すのか…と思いきや「いやいや、その時もまだ学校に、就職希望出してたんですよ(笑)」
ガンコな弟を見かねたのか、ドイツに留学中の兄から「良い先生を紹介するから、1回会ってみないか?」という誘いが来る。その兄とは、今では映画・舞台・ドラマ等で作曲や音楽監督として大活躍中のピアニスト、響のことだ。
「ドイツに行って演奏してみたら、先生に大絶賛されたんです。『こんな素晴らしい逸材に出会ったことない!』とかいわれて。うわぁ、もしかしたら僕にも才能あるんかも…ってカン違いしたのがプロになったきっかけなんです(笑)」
堺の文化や魅力を音楽で結びたい
そしてオーストリア国立グラーツ音楽大学に入学。そこでもアッという間に頭角を現し、国際音楽週間のオーストリア代表にも2年連続で選ばれ、卒業試験では満場一致で最優秀を獲得。
さらに2008年には指揮者・佐渡裕氏が「本当に作りたかった未来系のオーケストラ」と語った「兵庫芸術文化センター管弦楽団」に所属。
この時の佐渡氏との出会いこそが、今の彼を作るターニングポイントになる。
「佐渡さんはとにかくアツい人。クラシックというほんとに狭い1割、2割のワクだけを見ていてはダメだと。もっと広い8割の方に目を向けていかないと、と言われて『あ、やっぱりそうやったんや!』って納得したんですよ。敷居が高いと言われ続けてきたクラシックの間口をもっと広げないと、次の世代につながっていかないと。誰でも気軽に楽しめる、そんなコンサートこそが僕のやりたいことだって、改めて気がついた」
それは、自宅を「堺テクネルーム」として開放し、ユニークなライブを開いてはいつも観客を楽しまそうとしていた父、耕一氏の想いともピタリ重なった。
そしてついに2年前「音屋組」を立ち上げる。
「僕は子どもの頃からステージに立てる機会がめちゃくちゃ多かったんです。親父に習ったというより、本番に教えられてきた。でも普通は音大を出ても舞台に立つ機会が少ないし、その道で食べていくのは難しい。だから若手や学生にたくさんの“本番”をプロデュースして、経験を積んでもらいたいんですよ」
「おおさか地域創造ファンド」の採択を受けて、「堺輪音」の活動もスタート。
初回は堺出身の世界的空間デザイナー・間宮吉彦氏や、竹芸作家・田辺小竹氏とのコラボでコンサートを行った。堺をキーワードに様々な世界や魅力が交錯する、まさに化学反応のオモシロさ。
「五感で楽しめるコンサートをやりたかった。会場には堺の和菓子やお茶、お酒なんかも提供してもらって、これも人気でした。堺の文化や魅力を音楽で結ぶ、エンターテイメントを創っていきたいんです」
さらに新人を発掘したいと始めた「堺学生管楽器ソロコンクール」には、毎年全国から100人を超える子どもたちが集まる。「ほんとにレベルが高くて驚きでした。いつか堺から、世界に羽ばたく子がたくさん生まれてくれるとうれしい」
ソロはもちろん「音屋ウインドオーケストラ」としてのステージも数多くこなしながら、若手のプロデュース、さまざまなコラボレーション企画、人材発掘…と走り回る日々。
耕一氏から彼へ、そして次の若き世代へ――まいたタネはいつか大きく成長し、実を結ぶ。クラシックがとびきりのエンタメとして人々を楽しませる…そんな未来もそう遠くはないのかもしれない。
2017/2/9 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔