私的・すてき人

泉州が大好き!地元から生の声を発信したい

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シンガー ラジオパーソナリティ

やまうち はるか

山内 はるかさん [大阪府岸和田市在住]

公式サイト: https://www.facebook.com/hrkymuc

プロフィール

1990年 岸和田市出身 
1991年 1歳半で初ステージを踏む
2007年 「平尾昌晃ミュージックスクール」で本格的にボイストレーニングを学ぶ
2012年 「泉州美人」など地元の情報誌でモデル活動開始
2013年 シンガーとMCを中心に「ラヂオきしわだ」パーソナリティも担当中

「ラジオ出たいんですけど!」とある日突然「ラヂオきしわだ」に押しかけ、見事火曜日朝のパーソナリティとして採用となった、“超”ポジティブガールが、この人。
 
「生まれ育ったこの街が大スキ!」という根っからの岸和田っ子。
「人情にアツいところも、お祭りの一体感も最高。何もかもが好きなんです。ラジオを通じて、泉州ってこんなオモシロイとこやねんって、自分の言葉で伝えたくて」
 
お笑い芸人や作家…とユニークな市民DJを揃えるラヂきしで、その若さとチャレンジ精神はピカイチ。
「私たちの世代って、正直あんまりラジオ聴かないじゃないですか。でも身近な人が出演することで、どんな事話てんやろう…って聴いて頂けるしやろうし、何よりも全世代にラジオの大切さを感じてもらいたい」
 

1歳半から舞台に

地元の演歌歌手だった祖母の影響で、なんと1歳半からマイクを握って舞台で歌っていたというからビックリ。
「ヨチヨチ歩きなので、おばあちゃんに抱きかかえられて、舞台に上がってました。浪切ホールとかサンテレビでも歌わせて頂いてましたね。その頃、なぜか演歌歌ってたんですよ(笑)」
 
歌のうまさで地元ではすっかり有名になった彼女は、中学に入るまではお祭りやイベント、老人ホームの慰問など様々なところで歌い続ける。
 
「でもなんか、もう歌いたくないないなあっていう時期があって。しばらくはブラスバンド部でユーフォニアムっていう金管楽器を吹いてたりしたんです。またそれがメチャメチャ厳しいクラブで。夜遅くまで体育会系の部活並みの練習に、炎天下マーチングの練習と毎日かなり燃えていました」
 
だが歌から少し距離を置くようになって5年、高校2年になった頃ふと「やっぱり歌がうたいたい!」という思いが、突き上げるようにわいてくる。
 
「本格的に勉強をしたいと思って、天満橋のスクールにボイストレーニングに通い始めたんです」
 
歌の技術はもちろんだが、そこで学んだのは“表現力”。
 
「思っていることを言葉や詩にするって、本当に難しい。で、それを相手に伝えるってもっと難しい。特に歌は、詩のなかにある行間とかを読み取って、表現しなくちゃならない。いろんな事を教えられました」
 
そして東京の事務所のオーデションにも受かり、念願のシンガーとしての活動を始めたのだが…
 

歌ってしゃべれて、さらにオモロイ…そんな声のプロフェッショナルへ

「ずっと夢みた東京での活動を行うなかで、『これから自分はさらにどう成長していきたいか』と考えた時に思い出したのは、私に素敵な夢ときっかけをくれた家族、そして支えてくれる大好きな仲間がいるこの街でした」
 
「大阪で有名になったる!そう思い、ライブ活動を再スタートするって決めました(笑)」
 
となると、ライブに欠かせないのが、なんといっても場を盛り上げるMC(曲の合い間に行うトーク)。
「ラジオのDJやれば、シャベクリもウマくなるし、地元の人とも触れ合える!これはいい!と思ってソク、アプローチしたんです(笑)」
 
「ただニュース原稿読み始めると、どうしても噛むんです。でもリスナーさんは『カミカミでもええやん!応援してるよ!来週も、カミカミに期待してます』と私を優しく応援してくれます」
 
いきなり飛び込んだラジオの世界、失敗もあれば、クレームだって無くはない。
でも何があっても、全然メゲナイその前向きさはちょっと驚き。
 
「クレームは神の声やと思ってるんです。ご意見があるのは聴いてくださっているからこそやし、24時間しかない貴重な時間を私に使って下さる。とってもウレシしくないですか?」
と、どこまでもポジティブ!
 
歌手のaikoは、デビュー前歌を歌いながら、ラジオDJとしても人気があった。「大阪でDJから羽ばたいた憧れのaikoを目指しつつ、自分にしかできないオンリーワンをいつか世界に届けたい」

2015/5/26 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔