私的・すてき人

湊焼を、よみがえらせたい。そして誰もが知るブランドに

File.119

陶芸家

なかはし かずあき

中橋 一彰さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://www.sakai.zaq.ne.jp/duhnu900/

プロフィール

1982年 河内長野市出身
2003年 京都伝統工芸大学校卒業後、陶芸家・森本真二氏に師事
2006年 堺市中区福田に「M・O・Cスタジオ」開設 
2008年 「第62回堺市展」新人賞受賞、「セラミックアートFuji国際ビエンナーレ」入選
2012年 「大阪工芸展」入選

江戸の昔、ここ堺で誕生した焼き物「湊焼(みなとやき)」。
その素朴な味わいを持つ陶器は、「割れやすい」という“泣きどころ”を持っていたばかりにやがて姿を消し、人々に忘れ去られてしまう。
 
その「湊焼」をもういっぺん、僕の手で甦らせたろやないか――
 
そんなアツい思いで窯を造り、歴史をひもとき、ひたすら「湊焼」を焼き続けているのが彼、中橋さんだ。
 
「低い温度で焼くから、たしかに割れやすい。けど、だからこそ美しいんやと思うんです。せっかく堺から生まれた文化が、無くなってしまうなんてもったいない。いつか『あ、これ堺の湊焼やん!』って全国の人にいってもらえるくらい、メジャーにしたいんです」
 
昔ながらの伝統技術と、彼の感性でできあがる“新生”「湊焼」。その未来に注目だ。

土と火がシンクロした瞬間

幼い頃から土の香りが大好きだった。
 
「とにかく僕、何やっても飽きっぽい、三日坊主なんですよ(笑)それに人に合わせられないから、会社や組織にも属せない。じゃあ何やったら続けらるやろと思った時に、やっぱりいちばん好きなもの…土に触れることしかないんちゃうかなと」
 
そうはいっても、高校卒業を前になかなか進路は決まらない。
 
そんな時、ふと頭に浮かんだのが「お前がおこした火は消えへんな」という、友人のひと言だった。
 
「田舎やからいつも川で泳いでたんですけど、川の水ってメッチャ冷たいんです。それでたき火をして温まるんやけど、その時いつも『火おこすのウマいなあ』っていわれてた。それを思い出した時、そや、コレや!ってひらめいたんです。土と火――僕の中でふたつがシンクロした瞬間やった」
 
そして専門学校に進んで2年目のある日、知人に紹介された京都・亀岡の陶芸家・森本真二氏を訪れた時のこと。
 
「初めて師匠のとこに伺った時、たまたま師匠のお父さんが窯出しをしてはったんです。もう70歳も越えてるいうのに、『どんなに焼けてるかな』て子どもみたいに楽しそうにキラキラしてた…それ見て、うわぁ陶芸はやっぱり一生楽しめるんやって感動してしまって」
その場で「ぜひ働かせてください!」と頼みこむという、なかなか強引な弟子入りとなった。
 
技術はもちろん、運転手から家の用事まであらゆることをこなす毎日。
 
「3年間何よりも教わったのは、人間としてどうあるべきかということ。未熟で礼儀も何もわからなかった僕に、ひとつひとつ教えてくれたからこそ、今があると思ってるんです」
 
そして独立――師匠からは「陶芸家である前に人としてあれ」という言葉を贈られたという。

地域に恩返しがしたい

いよいよ23歳にして、父の出身だった堺の福田に工房をかまえることに。
その名も「M・O・C」マスターピース・オオサカ・セラミック スタジオ。最高の陶芸工房という意味だ。
 
そしてドキドキで迎えた開設初日、店も兼ねていた工房には思いもかけず、お客さんがズラリ!
 
「すっごい嬉しかった!僕のなかで、弟子時代にもらっていたお小遣いの倍のお金を、一日で稼げたらここでやっていける!っていうヘンな決め事みたいなんがあって…。それが初日に達成したもんやから、自信になったし、ほんとに有難かった。その時思ったんですよ、もっと地域のために何かできることをやらなアカンて」
 
地域のために恩返しできること――そう考えた時に思いついたのが「湊焼」だったのだ。
 
湊焼の前身は17世紀、豊臣秀吉が建立した聚楽第からその名をもらったという「楽焼」。その楽焼を継ぐ3代目道入の弟、道楽が堺で開いたのが「湊焼」とされている。
 
「そうや、この湊焼を復活させたらオモロいんちゃうか?!」
 
そう思いながらも、なかなかスイッチが入らずにいた彼のもとに、ある夜「マグカップを作ってほしい」という女性が訪ねてくる。彼女に「夢はないの?」と問いかけられた時、「たまたま湊焼の話をしたんです。そしたら『市の助成金もらったらいい』って教えてくれた。あ、これはもう天が僕にやれっ!っていってるんかなって(笑)」
 
さっそく湊焼の資料を掘り起し、書類を集め、地域貢献をアピールし…と奮闘したおかげで、「ものづくり新事業チャレンジ支援」の補助金を獲得。
そのお金で窯を造り、夢への一歩を踏み出すことになった。
 
「湊焼の定義って、なんかフンワリしてるんですよ。アピール力がないというか…だからこれが湊焼や!っていうブランドを作りたいんです」
 
最近ではベトナム領事館が堺にあることを知り、ベトナムの安南焼きの特徴でもある、鮮やかなブルーを使った器も焼き始めた。
「なんでベトナムの領事館が、堺にあるん?オモシロいなあって思ったら、せっかく縁があるんやから、焼き物にしてみようと」
 
アイデアは次々わいてくる。
 
そして彼の作品のなかにあるのは、いつも子どもの頃過ごした河内長野の景色だ。
「走り回った土の色、流れる川の青さ、山の緑…僕が焼く器はみんな、心の中に残ってる自然の景色なんです」
 
受け継ぐべき古きものと、新しい感性やアイデア…そのふたつが融合して、いつか「堺の湊焼」が全国区になるかも――そう想像しただけでちょっと楽しい。

2014/12/5 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔