私的・すてき人

僕にしかできない“高校野球講談”を創りあげたい

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上方講談師

きょくどう なんしゅう

旭堂 南舟さん [大阪府岸和田市在住]

公式サイト: https://www.facebook.com/nanshu.kyokudo

プロフィール

1975年 東大阪市出身
1994年大阪府立加納高校卒業後、会社員に
2008年 講談師・旭堂南左衛門に弟子入り  
2011年 岸和田かじやまち亭で『旭堂 南舟の講談を楽しむ会』スタート  古きを受け継ぎながら、一方で大好きな高校野球をネタに取り入れたりと新しい講談に挑む

芸の道をゆく――というのは大きな賭けでもあるし、覚悟でもある。
 
なかでもこの「講談」、落語や漫才のようなとっつきやすさも、大衆をひきつける派手さも無いためか、なかなかメジャーになるチャンスが訪れない。
上方講談師の数もわずか20人足らず、かなりジミな伝統芸能に、サラリーマンを辞めてまで飛び込んだのは何故なのか――
 
「いやあ、ただもうカッコイイなあって思ってしまったんです。師匠が語る物語にのめり込んでしまって…」
 
口ベタの恥ずかしがり屋…だが高座に上がり、ハリ扇をポーンと打つとスイッチが入る。
「人生に悔いは残したくないと入った世界。若いコたちにも聞いてもらえるように、新しい講談を作っていきたいんです」

32歳での入門

高校の頃からお笑いが大好きだった。
「やりたいなあって思いましたけど、僕にはムリだろうと。それで普通に就職したんです」
 
扉が開いたきっかけは、ECCがスタートさせた落語教室だった。
タクシー会社で変化のない毎日を送っていたある日、梅田に落語教室が出来ることを知り、突然“お笑い好き”の血が騒ぎだした。
 
さっそく入会してみると「ほんとに楽しかったんです。毎週いろんなプロの落語家さんがネタを教えてくれる。うわあ、幸せやなあって」
 
4年通ったところで、今度は新しく講談の教室も開校になると知り「こっちも面白そうやなあ」と軽~い気持ちで通い始める。
 
「そこに教えに来てくれてたのが、旭堂南左衛門師匠やったんです。5人しか生徒がいなかったので、みっちり教えてもらえたし、何より師匠の講談を聞いて、なんてカッコイイんだろうと感動してしまいました」
 
ところが半年後、案の定生徒がまったく集まらないため、講座は中止に。だが、どうしても続けたいほど夢中になっていた彼は、師匠に直談判。自宅でレッスンを受けさせてもらえることになったのだ。
 
それから半年、マンツーマンで習ううちにますます講談のとりことなった彼は、ある日一大決心を胸に、師匠に詰め寄った。
 
「師匠は気さくな方でね、レッスンが終わるといつも阿波座の駅まで送ってくれるんですよ。で、その日ふたりで駅の階段を下りたところで、僕が意を決して急にトンネルの壁に師匠の肩を押し付けたんです。師匠はもうビックリ、カツアゲされるんかと思ったらしい(笑)『弟子になりたいんです!』っていったら、ああそやったんか…と」
 
その時32歳、好きなことをやるならこれがラストチャンス、と覚悟を決めての入門だった。

高校野球講談を創りたい

おだやかな“ゆるキャラ”の彼だが、いったん思いこむとそのアツさはかなりのもの。洗濯工場、墓石屋…とさまざまなバイトをしながらの修業でも、「お客さんの前で、しゃべれるだけで幸せ。よかったで!って声かけてもらえる時が最高なんです」
 
3年前ここ岸和田に引っ越して来たのにも、思いこんだら止まらない彼らしい思いがある。
 
「駅前の商店街に『かじやまち亭』っていうレンタルスペースがあって、よく講談の催しがあるんですが、僕もその手伝いに通ってたんです。そのうちに岸和田の町並みとか、アツい人情とかが大好きになってしまって…」
 
矢もタテもたまらず、便利の良かった東大阪から、わざわざ移ってきてしまったというから、こう見えてなかなかの行動派なのだ。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」というが、講談とは本来ウソをほんとだと思わせてしまう巧みな話芸。
清水の次郎長しかり大岡越前しかり。実はほとんど旅をしなかったという水戸黄門が一大ヒーローになったのも、講談師たちの創作のおかげといっても過言ではない。
 
とはいえ、受け継いできた歴史ネタだけでは、もはや若い世代を取り込むことは難しい。時代に合わせて進化していく者だけが、生き残れるのだ。
 
「なにか新しい仕掛けはないやろか。僕にしかできないものが無いやろか…」
 
そこで思いついたのが、大好きでたまらない高校野球!
 
「昔、全試合完封、二試合連続ノーヒット・ノーランを打ち立てた投手・嶋清一さんていう人がいまして。そんなスゴイ記録を作ったにもかかわらず、太平洋戦争で戦死した伝説の投手を主人公にしたら面白いん違うかなと思いまして」
 
嶋投手の出身地、和歌山まで取材に行ったり、図書館にも通って文献を調べあげた。
 
「まだまだ始めたばっかりなので、これからもっと完成させていきたい。そして“高校野球講談”という新しいジャンルが確立できたらいいなと思ってるんです」
 
講談という世界に新しい風を、話題になるようなトレンドを―――
 
今年も推しメンに投票したという、大ファンのAKB48だって「いつか講談に出来る日が来るかも(笑)」
 
彼の挑戦は続いていくのだ。

<2014/9/4 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔>