私的・すてき人

美浜の海や自然の素晴らしさを、絵本にして発信したい

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イラストレーター

えんどう ひとみさん [和歌山県日高郡在住]

公式サイト: http://www.geocities.jp/bistro_endow/

プロフィール

1961年 大阪市出身
1982年 広告代理店を退社し、フリーのイラストレーターに
2001年 「ボローニャ国際絵本原画展」入選  翌年、さらに2008年にも同展覧会で入賞を果たす
2013年 20年住み慣れた泉南市から和歌山に活動の場を移し、造形アトリエ「ビアンコ」を開設  著作に「世界一すてきなおくりもの(ポプラ社)」「サンタクロースをください(ひかりのくに)」などがある。

西洋人の特徴をデフォルメしたような独自のタッチ、鮮やかな色…
そのユーモラスで躍動的な作風そのままに、彼女の人生もまたエネルギッシュそのもの。
 
何よりもオモシロイのは、午前中は女だてらにトラックの運転手、お昼からはイラストレーター…という、信じられないような組み合わせで日々を送るたくましさだ。
「私ねトラックが好きやねん(笑)いっぱいだった荷物が、一瞬でカラッポになる…その場でサラッとすべてが終わる、その感じが好きなんです」
 
そこには描くことでドン底を経験し、そしてまた描くことでよみがえる…そんな経験をしたからこその強さと明るさがある。
 
「この美浜に住んで一年、大自然のなかで制作できるってほんとに楽しい。だからここの素晴らしさ、地元の人たちとのふれあい…いろんなものを絵本を通じて発信していきたいんです」

 

旅でつかんだ、自分ならではの“オリジナル”

まるで外国の絵本を見ているかのような、個性的な人物画は彼女の真骨頂。これってどこから生まれたんだろう?
 
「30歳の時、夫婦ふたりで3カ月間海外を旅したんです。3000円以上のホテルには泊まらないっていう、かなりのケチケチ旅行(笑) ニューヨーク、ドイツ、イタリア、ギリシャ、スペイン、モロッコ…とにかくたくさんの国を回ったの。でね、その時外国人の大きい目と鼻を見て、なんてオモシロイんやろって思ってん。それでスケッチにいっぱい描きためて、日本に帰ってきたら『あ、これか!』って思ったの。これがずっと探してた私のオリジナルやって」
 
もともと絵を描くのが大好きで、高校の時入ったクラブは「マンガ研究会」。
「でも私ボウっ~としてて、芸大の受験には準備がいるって気がついたのが高3の夏。もう全然間に合わないってなって、とりあえず広告代理店に就職したんです」
 
3年間グラフィックデザインなどを経験したものの、「ここじゃない!って思ってしまった。私は絶対絵で生きてくって決めてたから、ここはちょっと違うなと」
そこで一度絵の基礎技術を習おうと、専門学校「大阪市立美術研究所」に入所。
石膏デッサンに明け暮れる日々を送るなか、ある日「自分のなかで、これ以上はないっていう作品ができてんけど、先生はもうちょっとやってみろっていう。でも私の目的はデッサンすることじゃない、やっぱりなんか違うやんって…」
 
結局夢を叶えるには自分でやるしかない、とフリーのイラストレーターとしての日々をスタートさせることになった。店舗デザインや壁画制作…と仕事も順調に入り、さらにくだんの旅で、自分にしか描けない“オリジナル”という宝石を手に入れたのだから、まさに順風満帆…のはずだった。
 
「でも子どもが産まれると、ついそっちにかまけてしまって…子育てが面白いもんやから、それにドップリはまってしまったんです」
 
制作から遠のいてしまったある日、送られてきた子ども用の雑誌やカタログを見てガクゼンとする。そこにはかつての知り合いや仲間が描いたイラストが掲載されているではないか。
 
「ショックでした。私が子育てしてる間に、みんなはドンドン仕事してる。私だけが同じとこにとどまってたんやと。これはアカン!とアセりまくり(笑)」
 
思ったらすぐに走り出さずにはいられない。さっそく若手作家の登竜門といわれる世界最大規模の絵本コンクール「ボローニャ国際絵本原画展」に挑戦することを決心。自分の子どもたちをモチーフにした「あ~んもう泣いちゃう」という絵を描きあげ、見事入選を果たすことになるのだが、そこから思いもしないジェットコースターのような人生の幕が開くことになる。

光と闇の10年

このコンクールは、新人の登竜門といわれるだけあって、入選すればさっそく出版社から声がかかる。
 
彼女もすぐにクリスマスの絵本を任されることになり、イラストレーターとしては最高のチャンスを手にしていた。
 
「でもあの時は何にも知らなくて、絵本の仕事をナメてたんやね。とにかく20枚の絵をたった2ヶ月で仕上げろといわれて、肉体的にも精神的にもボロボロになってしまって…当時3歳と1歳の子がいて、授乳しながらご飯作って、食卓で絵を描いて…何もかもひとりで抱え込んでしまった」
 
それでもなんとか描きあげ完成した絵本は、あちこちから絶賛され、サイン会も開かれるほどの大成功。彼女の評価は上がるばかりだったが、疲れ切った心はとっくに限界を超えていた。
そんなある日、出版社から「さっそく次の本なんだけどね…」と声をかけられる。その瞬間「壊れたんです。もう無理、もう描けない…」
 
まさに天国から地獄へ――燃え尽きた心のスイッチはオフになり、それから10年近い日々筆を持てなかったのだという。
 
長く暗いトンネルの中をさまようような毎日…
でもそんな彼女を救い上げたのも、また“描く”ことだった。
「それから何年かして、まだ私がドン底の時『読売ライフ』さんから電話がかかってきたの。コラムに小さい絵を描いてほしい、それも私の好きなものなんでもいいっていってくれて」
 
それなら出来るかも…と描きだすと「不思議と救われていく自分がいたんです」
 
やっと少しずつ光が射し込んできた時、絵本「サンタクロースをください」の依頼が来る。サンタクロースがほしいとお願いした少年と、困ったサンタとのユーモラスなお話だ。そのイラストを一枚一枚描く日々は、自分を取り戻していく時間にも重なった。
 
また描きたい―――長い闇を越えて、彼女に希望と持ち前のエネルギーが戻って来る。
一方で離婚も経験した。ふたりの子を抱えてこれから先どうしよう…と普通は落ち込むところだが、これがまた彼女らしいところ。
「フォークリフトの資格を取りにいってん(笑)」
 
新聞を見て応募したものの、「そんなすぐ運転はできへんのよ、当然やけど。で、トラックのドライバーやったら空きがあるっていわれて」
 
その日から朝2時半に起きてお昼まではトラックに乗り、午後からはイラストの仕事をするという、タフな毎日が始まる。
そして昨年、ついに和歌山は美浜の海のすぐそばに、夢だったアトリエ兼マイホームを建てた。
 
「目の前はターコイズブルーのキレイな海。朝起きたら海で魚を獲って、食べて…美浜はすっごくいいところなんです。せっかくここに自分の居場所を見つけたんやから、ここならではの楽しみやワクワクを作品にして伝えていくのが、私のライフワークのひとつやと思ってるの」
 
ここには、絵の好きな子どもたちもたくさん通ってくる。
 
「学校に居場所がなくても、ここに来るとイキイキする子どもたちもいっぱいいるんです。大自然のなかで遊んでるうちに、想像力や個性が生まれてくる。あの子たちと過ごす時間も、私にとっては宝物!」

<2014/7/29 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔>