私的・すてき人

障がいのある人もお年寄りも、誰もが自由に太鼓を打てる。
そんな道場を造りたい

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いずみ太鼓「皷聖泉」代表

ふかがわ みゆき

深川 みゆきさん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: http://www.eonet.ne.jp/~koseisen/

プロフィール

1963年 大阪市出身 
2000年 「弥生まつり2000」での演奏を機に結成、いずみ太鼓「皷聖泉」に二期生として参加 
2001年 「皷聖泉」代表に。以後年間50回以上もの公演やイベントを行う傍ら、オランダ、韓国で初の海外公演も行う
2011年 東日本大震災の復興支援や、現地での演奏会を開催
2013年 「皷聖泉」が和泉市のPR大使に任命される。 現在「鼓聖泉Jr.」「鼓の音」などを合わせ80名を超すメンバーが活動している

なぜ自分は太鼓を打つのか――

彼女が太鼓を始めた日から、ずっとこだわり続けているもの…それは“弱者”への思いだ。

「なんのためにやってるのか、なぜ自分は演奏したいのか…その意識がいちばん大切なんです。そこの部分がしっかりしてないと、表現力もモチベーションも上がっていかない。人それぞれやと思うけど、私の場合は施設や老人ホームの人たちを喜ばせたいという思いが、ずっと根っこにあるんです」

だからどんなに大きな舞台に立つようになっても、いちばん優先するのはお年寄りからのラブコール!

「障がい者や老人ホームの人たち、自分で聴きに行くことができない人たちに、太鼓をナマで聞かせてあげたい。そして一緒に演奏したい、感動を分かち合いたい…それが私のスタートやったし、今もそのために太鼓を打ってるんやと思います」

「皷聖泉」結成から1年で代表に

彼女が生まれ育った大阪市内にも、ここ泉州とよく似た「ふとん太鼓」と呼ばれるだんじりがある。祭になるとハッピ姿の男たちが、山車を曳いて走る姿を見て「カッコいいなあって。女のコは鳴り物をやらせてもらえない時代やったから、ずっと太鼓に憧れてたんやと思うんです」

そんな降り積もっていた思いが、一気にハジけたのが13年前だ。
市が池上曽根史跡公園での「いずみの国 弥生まつり2000前夜祭」開催に向けて、和太鼓演奏を企画。広く市民に向けて参加を募ったのだ。

当時介護施設で働いていた彼女、「太鼓が演奏できれば、施設のお年寄りに聞かせてあげられるかも…」という思いもあって、「皷聖泉」の2期生募集を知るやソク応募!4か月後に控えた「ねんりんピック開会式」での演奏に向け、初めて念願のバチを握ったのだ。

「それがいざやってみたら、全然楽しくない(笑)こんなに難しいなんて思ってなかったんです。理屈はわかんねんけど、手がまったく動かない。ストレスがたまって、もうイヤや~って」

それでも和太鼓のソリストとして世界で活躍する、時勝矢一路氏の指導のもと「なんとかギリギリ間に合って」大舞台での演奏を成功させた。

そうなると今度は一転、演奏することが楽しくてしかたなくなる。「やっぱり舞台の上でライトを浴びて、拍手をもらう…その快感は忘れられへんのよね、クセになる(笑)」

従来の伝統を継ぐだけではない、新しいリズムを取り入れたオリジナル曲を中心に、未知の可能性を創造していくのが「いずみ太鼓」の真骨頂。
翌年には、そのいずみ太鼓を引っぱっていく“代表”という大役をまかされ、いよいよ太鼓漬けの人生に突入していくのだ。

ツラかった道場の立ち退き

2005年には、日蘭協会などの招待でオランダ、韓国での海外公演も実現させた。

「ところがいざ行こう、となったら太鼓を運ぶお金までは出ないってことがわかって、もう大あわて!その日から必死で300万円の寄付を集めて、バタバタで向かった演奏旅行やったんです。でもオランダの人たちが、めっちゃくちゃ喜んでくれてね、涙流して聞いてくれるんです。国も言葉も越える、太鼓の力ってすごいなあと思いました」

ここ数年は小学生を中心とした「鼓聖泉Jr.」の育成にも力を注ぐ。
「46人いるんやけど、みんな自分の子とおんなじ。ほっとくことができへんねん!悪いことはキッチリ怒るし、しつけもキビシイ。でもその分可愛いし、顔を見ればなにかあったんやなと一目でわかる。初め無表情やった子が、どんどん明るく変わっていくのもうれしいよね」

「なんでもパッとこなせる子もいれば、いくら練習してもなかなかうまくできへん子もいるでしょ? でも私は下手やけど必死でガンバッてる、そんなコを引っぱり上げて舞台に立たせたいねん」

彼女の底に流れているのは、いつも“弱者”へのあったかいまなざしだ。
一昨年の東日本大震災の時には、直後からチャリティーを開き、物資を送り続けた。さらに福島の中学校を拠点に、あちこちで演奏会を開き、豚汁などをふるまって被災地の人たちを励まし、現地の子どもたちとも交流を深めてきた。

「太鼓をしてたから出会えた人がいっぱいいる。私にとって出会いこそが、何物にも代えがたい財産なんです」

だが長い活動のなかで、いいことばかりがあったわけではない。
昨年、市から借りていた道場を、役所の事情で立ち退かなければならなくなった。大所帯ゆえ練習する場所がなかなか確保できない、費用の問題、メンバーの不満…さまざまな問題に頭を痛め「いちばんツライ時やったかな」とポツリ。

だが、そこは小学生から50代までを、いつもグッと束ねてきたゴッドマザー。「それなら自分たちの手で、道場を造ってしまおう」と腹をくくる。
「費用も時間もかかるけど、なんとか頑張ってみようと思ってるんです。誰かがやれへんかったら、前に進まれへんでしょ」

そしてその新しい道場でいつか、実現させたい夢がある。

「老人ホームに行くと、みんなほんとにいい笑顔をしてくれる。自分らが演奏するだけじゃなくて、いつも一緒に太鼓を打ってもらうんやけど、バチを握るともう離さないお年寄りもいて…。だから今度は誰でも自由に来て太鼓を打てる、そんな道場にしたい。障がいのある人も、施設にいる人もみんなが楽しめる…そんな環境を造りたいんです」

2013/3/5 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔