私的・すてき人

障がい児にもそのお母さんにも、楽しく豊かな人生を

File.083

株式会社「童夢」代表

なかたに まさえ

中谷 正恵さん [大阪府堺市在住]

公式サイト: http://dou.mu/index.php

プロフィール

1962年 大阪市出身 
1982年 南海福祉専門学校卒業後、保育士に
1993年 次女に知的障がいと自閉症があったことで、米・ノースカロライナで開発された「TEACCHプログラム」と出会う 
2004年 発達障がい児の生活をサポートする「まーのよろずや」開設
2010年 株式会社「童夢」開設

「まーさんやったら、何でもわかってくれる…」

障がい児を持つ母親たちが、時に涙しながら、時にホッとした笑顔を見せながらつぶやくこの言葉が、すべてをあらわしている。

知的障がいをあわせ持った自閉症の娘と向き合い、悩み、迷い、苦しんできた“まーさん”こと中谷さんの言葉は、すべてを受け入れる優しさと強さに満ちあふれている。
そして娘のために学び実践してきた支援を、伝え指導することで「子どもらに豊かな自立への道を開きたい」という思いは、そのまま母親たちの願いと希望の光になる。

「長~いマラソンと一緒。途中で息抜きしながら、ひと休みしながらやっていかんと倒れてしまうんです。障がいを“克服する”という言葉はなんか違う。障がいとうまくつきあいながら人生を豊かに過ごせるように、そしてそれと同時にお母さんも自分の人生を楽しんで生きられるように…。そのお手伝いをするのが私の役目やと思ってます」

「TEACCH」との出会い

次女の異変に気づいたのは1歳を過ぎた頃のこと。
「それでも大丈夫や、思い過ごしやって、私も周りも無理に不安を打ち消していたんです。でも2歳過ぎても言葉が出ない……やがて病院で知的障がいと自閉があるっていわれた時、ショックでしたけどなんかホッとしたんですね、ああやっぱりそうやったんやなと」

夜ほとんど寝ない、トイレで排泄ができない、さらに服を着たがらない、ご飯を食べない、突如パニックを起こす……長女も育てながら、それに向き合い続けるストレスはどれほどのものか……
「自分で生んだ子やもん、仕方がないっていうのがほんとのとこ。イヤやって投げ出すわけにもいかないし(笑)。でもその頃は少しでも健常児に近づけたい、頑張らないと!って思ってました」
だがいくら訓練してもあまり成果が現れないことで、だんだん「何か違う道があるのでは」と思い始める。

そんな時出会ったのが米・ノースカロライナ州で発展してきた自閉症の人たちのための生活支援制度「TEACCH(ティーチ)プログラム」だった。彼らを取り巻く環境の意味を伝え、コミュニケーションの中から彼らとの共存世界を目指そうとするプログラム。
絵、写真、カードなどを使いながら場所や物、時間の流れを視覚的にわかりやすく理解させ、またコミュニケーションの力をつけることで、不安を取りのぞき自立を促そうという取り組みだ。

これを親子で実践できる場所として、民間から生まれた「大阪TEACCH療育相談室」に通いながら、ひとつひとつ娘とともに支援を学ぶ日々。それこそ一枚の写真を見せるところからスタートして、それを関連づけて理解させていくには何年もの時間がかかる。根気がすべての長い長いマラソンだ。

だがそれを続けるうち、少しずつ娘に変化が現れはじめる。おだやかに過ごせる時間が増えてきたのだ。
「自閉の子っていうのは、時間や情報の整理ができない。コミュニケーションが成り立たないためにパニックが起こる。その混乱の要因を取りのぞいてやれば、少しでも人や社会とかかわれるようになる……だから娘は生きているだけで、みんなの希望になってると思ってます。幼い時から支援を行えば、重度の障がいがあってもここまで穏やかに暮らせるようになるんだ、っていうモデルケース!」

幸せのカタチはひとつじゃない

さらに親の会のリーダーとしてもさまざまな活動をするうち、今度は同じような障がい児を持つお母さんから、相談を受けることが増えていく。
「人それぞれ、事情も、持ってるキャパシティも全然違う。勉強した支援を家でもやらなくちゃいけない、でもできない、時間がないと悩むお母さん。ガンバらなくちゃと思いながら、なんで私はできないんだろうと自分を責める人……相談にのるうちに、こんなお母さんたちの手助けがしたいと思いはじめたんです」

そして8年前、家庭訪問という形で障がいを持つ親子をサポートしていく「まーのよろずや」をスタート。口コミで利用者はどんどん増え、今では年間300組もの親子のサポートに携わる。

一方でウツ病になって眠れない日々が続いたり、長女の不登校、さらには別居……と自身もさまざまな荒波に翻ろうされ、それでもそのたびに道を探し、懸命に歩いてきた。
だからこそ、障がい者の思いも、その家族の負担や苦悩もひっくるめて自分のことのように受けとめられる。

「大変だったら休めばいい。ツラかったら子どもを施設に預けるという方法だってある。それに罪悪感をもってほしくないんです。子どももお母さんも、自分の人生を豊かに生きてほしい。幸せのカタチはひとつじゃないんやから」

「今ね、毎日がほんとに楽しいんです。いろんな問題が解決して、お母さんたちに『ありがとう』っていってもらえた瞬間はもう最高!。もし娘に出会えてなかったら、こうして起業することもなかったし、誰かを支える喜びもきっとわからなかった。娘に育ててもらったんです、私(笑)。これからはこんな取り組みをを理解して実践していける支援者やヘルパーの育成にも力を入れていかないと」

長いトンネルを抜けた先に広がっていたのは、キラキラと輝く真っ青な空……彼女の笑顔にはそんな言葉がピッタリとくる。

2011/11/30 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔