私的・すてき人

葡萄を通じて地元を盛り上げたい…それが私の次の夢!

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「河内ワイン」代表取締役専務

こんどう まさよ

金銅 真代さん [大阪府羽曳野市在住]

公式サイト: http://www.kawachi-wine.co.jp/

プロフィール

1954年 奈良県出身 関西学院大学文学部 フランス文学科卒
1999年 亡き夫の後を継いで、「河内ワイン」経営者となる
2008年 フランス・ブルゴーニュで、フランス語落語を上演。芸名はロマネ・金亭(コンテイ) ソムリエ協会認定ワインアドバイザー

人は時に、自分の力ではどうにもならない“運命”に遭遇することがある。
その運命にもてあそばれるか、立ち向かって未来を切り開いていくのか…そこの“腹のくくり方”が、次の人生を決めるといってもいい。

突然の夫の死、主婦だった彼女の肩に降りかかる会社経営と借金、味方のいない孤独……「夫の愛したこの河内ワインを守りたい、絶対つぶすのはイヤや……もう崖っぷちですよ。でも大変やったらその分だけファイトがわく、燃えるんです私。やったろやないかって(笑)」

45歳にして、ゼロからの“挑戦”。だが試練は悩みや涙だけでなく、今まで眠っていた彼女のプロデューサーとしての才能や企画力、人を笑わしたいというユーモア精神をも同時に花開かせることになる。
「口ベタやった私が今やプチ落語家(笑) 人生はわからんもんやね」

ソムリエ合格に涙、涙…

年間40万本もの地ワインを製造する「河内ワイン」に、お見合いで嫁いできたのは22歳の時。「女は前に出るな、みたいな古いところ。お風呂も薪で焚いてるような田舎やから、薪割りまで私の仕事。繁忙期には夜中まで蔵人さんにご飯作らなアカンし、なんて大変なんやろとボヤキたおしてました(笑)」

ボヤキつつも、ちょっとドラマ「おしん」を思いださせるような“お嫁さん”に徹していた彼女の運命が突然変わることになる。夫、徳郎さんが50歳の若さで病気で亡くなってしまったのだ。
「何もわからない、出来ない。けどこの会社をつぶすのだけはイヤや……もう意地だけでガンバってたようなもん。1年間は家に帰るヒマもない、ほとんど事務所の床で寝てたんです」

経営のノウハウも、周りのバックアップもない、いわばたったひとりでの挑戦。「でもだからこそ、毎晩泣きながらでも頑張れたんやと思う。みんなが優しく手を貸してくれてたら、それに甘えてここまで出来へんかった。ハードルが高ければ高いほど負けへんでって燃えてくるねん」

さらにお酒さえ飲めなかった彼女が、ソムリエ協会認定のワインアドバイザーの資格にも挑戦する。

仕事を終えた後、クタクタで学校に通うのだがさすがに疲れて居眠りばかり。さらに45歳ともなれば新しいことを覚えるだけでもひと苦労だ。
「案の定試験に落ちたんです。テストに落ちるなんて生まれて初めて。またもや崖っぷちです、もう何が何でも合格せんと!とそれからは夜中に水かぶって猛勉強、飲めないワインも全部飲んで味わいやアルコール度数を体で覚えました」

そのかいあって、ついに合格!「合格のハガキ持って、泣きながら周りの畑を走り回ったんです、ヤッタぁ~って(笑) あんなに嬉しいことなかった…ソムリエのバッチがあるんですけど、パジャマにまでつけて寝てましたもん、もう嬉しくてうれしくて…」

創作落語をひっさげフランスへ

そしてさらに落語を始めたのも、彼女いわく“崖っぷち”。
自社のワイン館には、ひきも切らず見学の客が訪れるのだが「口ベタでうまく説明できへん。もっと楽しく笑ってもらうにはどうしたらいいやろ…」と悩んでいた時、友達にすすめられて始めたのが英語落語だったのだ。

「やってみたら面白くて。見事にハマってしまいました」
その後吉本興業のパーティーで出会った桂三枝師匠に誘われ、創作落語の会にも参加。その三枝師匠に、ワインにちなんだ「ロマネ・金亭(コンテイ)」という芸名までもらうことになる。

さらにワインを買い付けに行ったフランスで「ここで落語がしてみたい!」と思い立ち、さっそく翻訳してもらった 師匠の創作落語をひっさげ、ブルゴーニュに乗り込んだのが3年前。

「フランスに着くまでの、13時間が勝負!飛行機の中でもうひたすらテープを聞いて覚える。前日は胸が苦しくなるほどのプレッシャーで、どうなるやろと思てんけど、これが意外やウケたんです!オチのとこではちゃんとみんな笑ってくれる、フランス人ってあったかいなあと思いました」

もうコリゴリ、一回でやめると宣言したにもかかわらず、結局今年で3回目。今ではワイン館でのイベントはもちろん、あちこちに呼ばれては落語を披露するほどの“名物”となった。

一方、以前のように地元産にこだわるばかりでは、多様なニーズに応えられないと、フランスの名門シャトーアンジェリュスと姉妹提携を結び、さらに各国のワイナリーを回って、自ら感動できるワインを探す。その度にたくさんの人と輪がつながり、国際交流も生んできた。ご主人が築いた河内ワインを、新しい次代へと導いていく…それが彼女に与えられた運命だったのだろう。

「夫が亡くなって12年、またここからが新しいスタートやと思ってるんです。市が近鉄駒ヶ谷南側にイベントスペースを開発中で、そのプロデュースをすることになりました。この小さな村、駒ヶ谷がいつかワイン王国として名が知られるように、海外との交流で活気あふれるように。ブドウを通じて地元を活性化していくのが大きな夢です」

「あいつのやることに間違いはない」―――亡くなる前、夫の徳郎さんが周りにもらしていたという。河内ワインを世界とつなぎ、さらに地元のプロデュースまでまかされるほどアイデアと度胸で走り続けてきた彼女を、今は遠い空から目を細めて、見つめているかもしれない。「やっぱりあいつのやることに間違いはなかったなあ」とつぶやきながら。

2011/10/06 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔