私的・すてき人

チョークアートに救われた。だから今度は私の絵で誰かを元気にしたい

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チョークアーティスト

ささき ようこ

佐々木 陽子さん

公式サイト: http://www.sun-child.info/

プロフィール

1978年 大阪市生まれ 高校から堺へ
1998年 ECC国際外語専門学校卒業 旅行会社に勤務
2005年 ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに滞在 チョークアートに出会う
2006年 宮古島へ移住 
2008年 大阪に戻り、作家活動を始める。北加賀屋、阿倍野等で教室も主宰

人生は不思議だ。
たった1枚の絵に、たったひとつのメロディに、ふと救われることがある。

オーストラリアで目にした色鮮やかな「チョークアート」。
それが人間関係に疲れていた彼女の魂を、フッとすくいあげた。
「毎日が本当にツラかった時、突然あのあでやかな絵が心に浮かんだんです。ああ、私あれが描きたかったんだって・・・」

心がふるえる方へ、感じる方へ・・・走り出した時、彼女の前に新しい道が広がった。

チョークアートとの出会い

とにかく迷わない。「思い立ったら!」の人だ。
オーストラリアに行く時も、チョークアートをやると決めた時も、そして宮古島へ飛んだ時も・・・。

高校卒業後「英語をやりたい」とECCに進み、旅行会社のカウンター嬢に。
そして7年後、「今行かんと後悔する!」と思い立ち、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアのゴールドコーストに1年間滞在することになる。
「何もかもが新鮮で楽しかったんですけど、私、なんとここで英語に挫折したんですよ。レストランに入ってポテトに塩をかけようと、“Salt”っていったのに、それが通じない。英語の専門学校も出て、オーストラリアにも住んで“Salt”さえ通じへん、もうイヤヤッ帰りたいって」

そんな時カフェでよく見かけたのが、黒のボードにパステルで色鮮やかに描かれているウェルカムボードやメニュー。オーストラリア発祥のチョークアートで、日本でも最近店先に飾ってあるのをよく見かける。
「なんて鮮やかでキレイなんやろうって・・・習いたいなあって思ったけど、バイトで忙しいしお金もなくて。諦めて帰ってきたんです」

帰国後再び旅行会社で働いていたが、ある人間関係をきっかけに彼女を大きなダメージが襲う。「色々なことが重なってシンドくて・・・そんな時パッとあのカラフルなボードが浮かんだんです。あ、やりたい、どうしても描きたいって・・・」
その時もう「チョークアートのプロになると勝手に決めてた」というほど、出口を探していた想いは一気にあふれ出た。

宮古島を見た瞬間「ここや!」

さっそく調べたが、当時はまだチョークアートの教室なんて数えるほどしかない。やっと三重に先生を見つけ、働きながら毎週のように土日はそこへ通った。
「特急は高いけど、鈍行なら半額の3千円で行けるんですよ(笑)ビジネスホテルに泊まって二日連続でレッスンを受けたりとか、半年通いつめました」

絵なんて描いたこともなかった彼女が、指でパステルをぼかしていく楽しさに魅了され、講師の資格まで取得。気づくといつしか心の傷は消え、希望という光が射し込んでいた。

元気になると今度は
「どうしても海の絵を描きたくなったんです。で、会社も辞めて何の迷いも無く宮古島に行ってしまった(笑)」
飛行機から見下ろした宮古島を一目見て「ここや!」と思った。「前世は宮古島の人やったんちゃうかなと思うほど」運命を感じてしまう。
翌日からホテルでバイトしながら、大阪では見たことのなかった青い海や夕日、星、ハイビスカスをキャンバスに描き続けた。
「あの島は昭和にタイムスリップしたみたいなとこ。みんながお隣さんであったかくて・・・そんな人たちとの出会いや風景をこれからもていねいに描いていきたい」

そして2年後、街の看板も手がけ展示会を開き、新聞やTVにも紹介され・・・と「もうここでやれることは全部やった」と大阪に戻ることを決心。次のステップへと踏み出した。

今は教室で指導しながら、作品に取り組む毎日。
「私は本当にこのチョークアートに助けてもらった。だから落ち込んでいる人が、私の絵を見て元気になってくれたらほんとに嬉しい!そんな温かい絵を描いていきたいし、そしてこのアートをもっともっと広めていきたいんです」

2009/10/28 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔