私的・すてき人

いつか武道館でコンサートを!

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シンガーソングライター

とさ たくや

土佐 拓也さん [大阪府堺市出身・東京都在住]

公式サイト: http://tosataku.com/

プロフィール

1981年 大阪府堺市出身
2003年 桃山学院大学卒業 在学中にプロダクションのボーカルオーディションに合格
2004年 フリーになり活動拠点を東京にも広げ、各地でライブを展開  
      昨年はアルバム「human being」もリリース

芸能界というステージでライトを浴びることができるのは、“時代”とピッタリ寄り添うことができる才能だけだ。

努力や素質ともまた違う、センスや運そしてタイミング……気まぐれな女神を味方につけた、選ばれた者だけが拍手と喝采を浴びる。
そんな“時代”というクセモノに挑む彼は、まさしく今“夢の途中”――。
「いつか武道館でコンサートがしたい、ドラマの主題歌だってやってみたい。この先何があっても、音楽で食っていこうという覚悟だけはあるつもり!」

夢と挫折、希望と不安……光と影はいつもニコイチで私たちの前に立ちはだかる。
それでも自分を信じて前へ進む強さは、その“覚悟”のなせるワザ……私たち地元ファンの夢も背負って、若きチャレンジャーは挑み続ける。

「感謝を忘れない」それが条件

大学4年の時「こんなんあるねんけど、受けてみたら?」と友達に勧められるまま、軽いノリで受けた某プロダクションのボーカルオーディション。それが彼の人生を変えた。
「俺なんかムリ、ムリて思てたんです。それが2次のアカペラの審査、スタジオでのレコーディング…とどんどん進んで結局、2千人の中から最終の15人に選ばれて合格。ほんとなん?って感じ……。うわっスゴイ、俺ひょっとして『ミュージックステーション』に出れるんちゃうん?て思いましたもん。後でそれは甘すぎるとわかりました(笑)」

もともとここ泉州で路上ライブをしている時から、心に響いてくるベルベットのような彼のボイスに酔うファンは多かった。そんな応援団のアツイ声援を力にして、オーディション合格をきっかけに音楽の道を行くことを決意。結局、リクルートスーツに一度も腕は通さなかった。
「迷いですか?それがなかったんです。あの時なんでやらんかったんやろって後悔するのはイヤやったし。音楽っていつの時代にもあって、人間にとってほんとに必要なものじゃないですか。たくさんの人に音楽で何かを伝えられるってスゴイことやなって」

東京でのボイストレーニングに通ううち、やっぱりというか「上京して勝負したい」という思いが日に日に大きくなる。
その時父親から出された条件はただひとつ、「感謝の心」
「それだけは忘れるなと。歌を聴いてくれる人、わざわざライブに足を運んでくれる人、スタッフの方……みんなへの感謝を忘れないなら、上京さしたるって。この家族があるから頑張っていける、心の支えです」

生命のつながりを伝えたい

ギターを手にひとり乗り込んだ東京という街は、大阪とはまったく違う刺激に満ちていた。「ライブハウスもいたるとこにあって、そこにはレベルの高いホンモノのアーティストがいっぱいいる。通りには数メートル感覚で、路上ライブの輪ができる。歌に限らず芸術がそこらじゅうに溢れてるって感じ。自分のモチベーションを思いっきり上げてくれるところでした」

23歳でアルバム「幾千の空の下」をリリース。心が切なさであふれるようなシングル「四季の歌」も発表し、大阪でのワンマンライブでは300人以上を動員した。

ひとつずつ夢はかなっていく。
だがCD自体が売れなくなり、新人発掘にも金をかけられなくなっている今の音楽業界でヒットを狙うのは、あたり前だがそう簡単なことではない。

「卒業して4~5年も経つと、友だちは結婚して子どももいたりする。それなりの収入や安定もある。もちろん焦りがないわけじゃないけれど、でも今は音楽をやれてることが一番の幸せ。ライブでお客さんとつながる瞬間は、鳥肌が立つほどの快感!あれはヤバイ、麻薬です」

伝えたい思いは「生命のつながり」
「アニキの子どもを初めて抱っこした時、こわれそうでまるでガラス細工みたいやったんです。小さくて尊くて…命ってスゴイなと。ベタですけど愛や平和を歌にしていきたいんですよね」

命へのメッセージは、ラテン音楽をスパイスにした新しいアルバム「human being」にも散りばめられている。
「これからは俺のナマの音楽を聴いてもらうために、ドンドン飛び出していこうと思ってます。ライブも路上も……そこから生まれる出会いやチャンスをたくさん作っていけたら」

夢をかなえるために人生はある。
覚悟というツバサを広げて、どこまで遠くへ飛んでいくのか……どんな未来をつかむのか、応援団のひとりとして、楽しみでもあり待ち遠しくもある。

2009/04/04 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔