私的・すてき人

童謡には、優しさを育てるエキスがつまっている

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ハーモニカ奏者 童話作家

もり・けん

もり・けん(本名・吉森正憲)さん [大阪府和泉市在住]

公式サイト: http://www1.linkclub.or.jp/~mori-ken/

プロフィール

1951年 大阪市出身 
1970年 「幼児教育出版社」入社
1995年 念願だったモンゴル訪問 以来毎年、現地での演奏や支援活動を続ける
2004年 日本ハーモニカ賞を親子二代にわたり受賞
2008年 童謡の魅力を伝えようと月刊新聞「ふんふん」を創刊  
現在、日本童謡協会会員 関西ハーモニカ連盟常任理事 梅花女子大学児童文学科講師ほか

「今、童謡を歌えない若いお母さんが多い。なぜって私たち親の世代が歌ってあげなかったから……これは僕自身の反省でもあるんです」

ゲーム、TV、コンピュータ…大人がその便利な機械に子守りをさせてしまったツケは、もうすでに社会のゆがみとして回ってきつつある。
人とコミュニケーションをとれない子ども、そして日々起こる信じられないような身勝手な犯罪……。
「親から歌ってもらった童謡や昔ばなしには、子どもの情緒や優しさを育てるエキスに溢れているんです。歌い継がれてきた素晴らしい曲や文化を今伝えなければ、やがて消えてしまう」
一本のハーモニカがあれば心がつながる、ひとつの歌で優しい気持ちになれる。
「未来を担う子どもたちに、日本の歌を伝えていきたい」その思いが彼を衝き動かしている。

モンゴルとの出会い

アツい人である。
26歳で初めて草原のチェロといわれる「馬頭琴」の音色を聞いた時、体がふるえた。
「なんてスゴイんやろうと。血が騒ぐっていうか……どうしてもモンゴルに行きたくてたまらなくなったんです」
だが出版社で月刊絵本の編集に追われる毎日、しかも当時は日本からの直行便も無く、ビザの発行もままならない。「今はガマンするしかないと。でもいつか必ず……」

その思いは消えることなく、それからなんと17年後、43歳の誕生日についに脱サラを決意する。「仕掛けや付録で勝負する絵本づくりに疑問を覚えていたこともあって、女房にもいわんと辞表を出してしまった。ああ、これでモンゴルに行けるぞと(笑)」

夢にまで見たモンゴルの地。見渡す限りの大草原に身を置く心地よさ、ゆっくり流れていく時間……そこで見たのは自然にそっと寄り添って生きる遊牧民の姿だった。
「これこそが人間の本当の姿だと気づいた時の感動と驚き……でもその一方で社会情勢の混乱や寒波などで経済状況は悪く、親に捨てられ“マンホールチルドレン”になる子どもたちは後を絶たない。同じモンゴロイドである私たちに、なんかできることがないやろかと思ったんです」
その時ポケットに入っていたハーモニカ。吹くとどの子も目を輝かせ、言葉も文化もポーンと跳び越え心がつながっていく。以来、トランクいっぱいの衣服や文具などの支援物資を抱えて30回以上もこの地を訪れ、コンサートを開き続けている。ウランバートルの国立孤児院では毎年、もり・けんが来るのをたくさんの子どもたちが楽しみに待っている。

童謡の伝道師に

モンゴルやネパールなどの子どもたちへの支援と並行して、力を注いでいるのが「童謡の復権」だ。
数年前、ハーモニカの演奏や講演で幼稚園や学校を回っていると、童謡を知らないお母さんや先生が多いことに驚いた。「親から歌ってもらったことがない」「授業で教えてもらってない」
そんな声に「このままじゃいかん!なんとかしなければ……」と、またアツい心に火がつく。「童謡を歌ってあげなかったのは僕らの責任。だから今からでも魅力を伝えていかんと!」

幼いころ、父がハーモニカ奏者だったためそばにはいつも音楽があった。母や祖母が歌う童謡を当たり前のよう聴いていた。
「それが今の私をつくったんです。絵本が書けるのもハーモニカが演奏できるのも、全部幼い時に育ててもらった感性や情緒が原点。人は6歳までに脳の90パーセントが出来上がってしまうんです。だからこの時に歌をうたい、おはなしを読み聞かせ優しい心を育てなくちゃいけない」

昨年、仲間とともに童謡の魅力を伝える新聞「ふんふん」も創刊。「発送費だけ負担してもらえればどこへでも送ります。ひとりでも多くの人に童謡の大切さをわかってほしい」
そして大事なのは子どもに“本物”を与えることだとも。「子どもだからといってひらがなだけの絵本を与えるのはおかしい。漢字とかながまじって初めて日本語、この考えで私は日本語表記の絵本を書いてます。芸術、文化なんでも本物を見せてあげる、そうすれば心に何かが育っていく」
モンゴルで日本で彼がまき続ける種が、どんな花となり素敵な実をつけるのか……その日がとても楽しみだ。

2009/03/24 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔