私的・すてき人

泉南の魅力をもっともっと発信したい

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「熊野街道信達宿藤保存会」事務局長
「NPOせんなんまちづくりねっと」理事長

もりひろ ひろみつ

森広 浩允さん [大阪府泉南市在住]

公式サイト: http://kumanokaido-fuji.sakura.ne.jp/

プロフィール

1940年 島根県出身
2006年 藤保存会が発足
2008年 「藤まつり」の創始者、故梶本氏からまつりの未来を託される 
2015年 NPO法人「せんなんまちづくりねっと」設立 
2017年 観光振興事業功労者表彰を受ける。泉南観光協会理事も兼任

熊野街道沿いの信達宿にある梶本家――毎年春になると1本の野田藤に4万を超す花が房となり、何万もの人がその見事さにため息をつく「梶本さんちの藤まつり」。
9年前に主を失ったこの藤の花たちが、今もあでやかに咲き誇っているのには訳がある。
 
死期を悟った梶本昌弘さんから「どうか後を継いで、藤の樹を守ってくれないか…」
そう告げられた時「正直どうしよう…て思いました。これは大変やぞ、僕にできるんかなあと」
荷の重さに考えあぐね、やっと心を決め「任せて下さい」と伝えに病床を見舞う直前に梶本さんは亡くなってしまう。
 
「それが今も心残りでね。地域の宝ですから、この藤は。なんとしても僕らの手で守っていこう、そう決めたんです」
バトンを受け取った彼は、藤まつりはもちろん泉南という町を若者が誇りにできる場所にしたいと、今全力で走り続けている。
 
 

梶本さんとの出会い

“平成の花咲かじいさん”と呼ばれた梶本さんと出会ったのは、今から十数年前。
 
 
「定年退職して、さあ次何をしようかなと考えた時ふと気づいてね。長く住んできたはずやのに、僕は泉南のことを知らんなあと思って。だったらこの町のことをもっと知りたい、そしてたくさんの人にその魅力を伝えたいと思ったんです」
 
こうして市と連携をとりながら、ちょうど様々な企画や運営にかかわりだしていた頃、当時彼が代表を務めていた「SENNANまちづくり市民会議」が開催した「熊野街道ルネッサンス」のシンポジウムに梶本さんが参加していた。
 
このシンポジウムは、世界遺産に登録された熊野三山の参詣道へと続く熊野街道を、魅力ある観光地として発掘したいとの思いから始まったもの。熊野街道は泉南市を縦断している、たくさんの歴史スポットを持つ道だからだ。
 
「その時、藤の保存会作って一緒にやろうや!って梶本さんに声をかけられて」
二人の親交が始まっていく。さらにそれをきっかけに2年後、藤保存会も誕生。
 
たった1本の苗を庭に植えてから15年目。当時すでに藤は1万3千以上もの花房をつけ、うわさを聞きつけた観光客で梶本家はごった返すようになっていた。まつりの間は屋上も開放し、無料で菓子や抹茶をふるまう。熊野街道は息を吹き返したかのようににぎわい、1本の藤を育てたことが見事に町おこしの成功モデルとなっていた。
 
「ここを拠点にして、もっともっと魅力的な町づくりをやっていかなアカンなと。子どもには夢を、若者には誇りを、そして高齢者には生きがいを届けられるそんな町にしたいと思ってね」
 
だが出会ってから4年後、梶本さんは病に倒れ「藤全部おまかせ 自由にのびのびと夢を広げて下さい」という、彼への遺言としか思えないようなメモ書きを残して旅立ってしまう。
 
 

いろんな仕掛けで人を呼びこみたい

その日から泉南の宝ともいえる藤を育て、多くの観光客を楽しませる「藤まつり」をけん引し、さらに未来に引き継ぐという“大役”を背負うことになった。
 
「子どもを育てるのと一緒でね、花を咲かすのが大変なんですよ。満開直後に来年のために花房を全部刈りとる。そして肥料や毛虫の駆除やと1年中世話に追われてね。『来年もきれいに咲いてや』って声をかけながら、みんなで頑張ってるんです」
 
一方さまざまな角度から泉南の魅力を掘り起こし、アピールしようと多くの観光事業や活動支援にも取り組む。
 
「りんくう海道ブルーツーリズム事業」では、関西国際空港をのぞむマーブルビーチ、大阪湾有数のアナゴ漁獲高を誇る岡田浦漁港、ウミガメが産卵にやってくる砂浜など魅力のスポットをつなぎ、海をテーマにした様々なイベントを企画。
「マーブルビーチって、夕陽百選に選ばれるほどきれいなところ。恋人の聖地ともいわれてるこのビーチを、もっと多くの人に知ってもらいたい。そのためにもここで海の宝石といわれる海ホタルの観察会を開いたり、音楽やダンス、地元の食材を使ったB級グルメなどを楽しむ『サンセットフェスタ』も開催してるんです」
 
企画だけでなく、自らが立ちあげた和太鼓集団「泉南太鼓塾」のリーダーとしてもフェスタに出演。「いやあ前から太鼓をやってみたくてね。初めは8人ぐらいだったんだけど、今ではたくさんの子どもたちも加わってくれて、あちこち演奏にも行くんですよ」と、とにかく大忙しの毎日。
 
「まだまだこれからやと思ってます。いろんな仕掛けをして人を呼びこみたいし、泉南てこんなイイとこなんやって事を発信していかなくちゃ。子どもたちの夢につながっていく、そして高齢者がいろんな活動に参加できる…みんなが住みたい、そんな町にしていきたいんです」
 
 
彼をはじめとする保存会のメンバーのおかげで、来年もまた信達宿には何万もの藤の花が咲き誇るに違いない。
「梶本さんにね、いっぺん戻ってきて見てほしいんだよね。ほらこんなに見事に咲いてるでしょって(笑)」
 
 

2017/5/24 取材・文/花井奈穂子 写真/ 小田原大輔